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生きたまま人間の脳の一部を切り取る史上最悪の外科手術「ロボトミー」

生きたまま人間の脳の一部を切り取る史上最悪の外科手術「ロボトミー」 
生きたまま人間の脳の一部を切り取る史上最悪の外科手術「ロボトミー」(C)週刊実話Web ※画像はイメージです

こんなに痛いなら死んだほうがマシ?! 恐ろしすぎる治療法の世界史②

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東茂由(ひがし しげよし)
1949年山口県生まれ。早稲田大学教育学部卒。『週刊実話』健康ページをはじめ、様々な健康雑誌等で精力的に取材、執筆活動を行う。ロングセラーとなっている『長生きしたければ朝食は抜きなさい』(甲田光雄医師監修/河出書房)など著書多数。
ブログ https://www.higashi-news.com/

脳の前頭葉は人間のもっとも人間らしい部分で、情緒、感情はここで育まれる。動物と人間がもっとも違う部分である。

その前頭葉にメスを入れたとしたら、どうなるか。前頭葉について基礎知識がある現代人であれば、想像がつくに違いないだろう。

いまから100年近く前のこと、前頭葉にメスを入れる手術が考案され、たちまち世界じゅうに広まり、一時期さかんに行なわれた。「ロボトミー手術(前頭葉白質切截術)」である。

1935年、ポルトガル・リスボン大学神経科教授で脳血管造影の研究で有名なアントニオ・エガス・モニスが、人間に対して初めてロボトミーを行なった。精神障害の原因を前頭葉のシナプスの不具合と考えたからであった。

この手術では、患者の頭蓋骨に穴をあけたあと、前頭葉を残りの脳から切り離した。前頭葉の一部を壊死させたようである。

モニスは、精神疾患を抱える20人の脳の一部を切ったことを翌年の学会で発表した。不安・苦悶の強い退行期うつ病や不安神経症などに効果があると報告したが、症状がぴたりと治まることを証明したのだから、画期的なことだった。

その後、この手術はアメリカに導入され、1936年にジョージ・ワシントン大学神経科教授ウォルター・フリーマンが神経外科医のジェームズ・ワッツと協力し、アメリカ初の手術を行なった。患者にさほど改善は見られなかったが、ふたりはこの手術を続けた。

手術を受けた患者の多くは、術後にふたたび精神病院に戻ることになった。効果はなかったが、ふたりはマスメディアを利用してこの手術を喧伝し、それによって手術を受ける患者は増えた。

1938年、ふたりは術式を変更することにした。頭蓋骨のてっぺんに穴をあけるかわりに、こめかみを切開することにしたのだ。また、それまではモニスが使っていた特別仕様のメスを入手していたが、このメスは硬さに問題があった。そこで細いバターナイフのようなメスを使用することにした。

しかし、手術による被害者が続出した。最大の被害者といわれるのが、ケネディ大統領の妹ローズマリー・ケネディであった。

ローズマリーは誕生時に酸素不足となり、脳に後遺症が残った。それでも平和に暮らしていたが、成長するにつれ、癇癪を起こし、暴力を振るったりするようになった。父親のジョセフは、ロボトミーによって娘の行動を抑制できるかもしれないと考えた。

いっぽう、ローズマリーの妹キャスリーンは、この手術を受けると「人としては終わりで、人でなくなってしまう」という情報を得て、そのことを父ジョセフに伝えたが、ジョセフは躊躇せず、ローズマリーに手術を受けさせた。

手術中、ローズマリーは眠らされず、歌をうたったり、暦の月の名前を暗唱させられたりした。手術は彼女が錯乱するまで続けられた。そうして脳をえぐり取られた結果、ローズマリーは術後に歩くこともしゃべることもできなくなり、人格は失われた。

ロボトミーを受けた患者は大半がこういう結末を迎える。それでも、この手術を受ける人は増え、しかも、手術を受けた患者やその家族からフリーマンのもとに、「最高の調子です」「あなたは社会に貢献してくださった」などといった感謝の手紙がたくさん届いたという。

眼球からアイスピックを刺し脳の神経を切る

1946年には、フリーマンはアイスピックを使う改良型ロボトミーを考案した。電気ショック療法で患者を昏睡状態にし、眼球の上部から、目の裏側にある頭蓋骨のいちばん薄い部分に向けてアイスピックを差し込み、脳組織まで刺しつらぬき、アイスピックを動かし、神経組織をかき切る。

このような信じられない手術が、アメリカだけで約4万症例も行なわれたが、フリーマンとワッツはそのうちの3500症例を行なった。彼らは、第二次世界大戦で心的外傷を負った元兵士たちに目をつけ、積極的に手術をすすめたから、これだけ多くの手術数を誇ることができたという。

しかし、この手術を受けても治るわけではなく、無気力になり、おとなしくなるだけだった。感情・情緒が失われ、人間らしさが消失した。それを効果があったと判断したのだから、なんともあきれてしまう。それでも、先にも述べたように、患者の家族には感謝される場合もあった。

ロボトミーの生存率は7割5分といわれている。そして、生存者のなかでも、回復できた患者はほとんどいない。このようなことは早期にわかっていたが、手術は続けられた。

ところで、モニスは1939年、以前手術を行なった患者に銃で撃たれ、不自由な体になった。1949年、ロボトミーの創始者としてノーベル生理学・医学賞を授与されているが、そのときはすでに車椅子生活だった。

ロボトミーは日本では昭和17年(1942年)に初めて行なわれ、手術を受けた患者数は少なくとも3万人以上に上った。日本においても、この手術を受けて社会生活を送ることが難しくなった患者が、復讐のために医師の家族を殺すという痛ましい事件が昭和54年(1979年)に起きている。

ロボトミーの問題は1960年代になって一気に浮上し、時を同じくして薬物療法が発達してきたため急速に衰退していった。日本ではようやく昭和50年(1975年)に完全に廃止となった。

▼東茂由著『恐ろしすぎる治療法の世界史』(河出書房)より
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309485614/

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