菅内閣の首相補佐官に、前共同通信社論説副委員長の柿崎明二氏が就任した。
その柿崎氏の盟友で、政財界から芸能界まで幅広い人脈を持つシンクタンク『Tグループ』のY会長は、21年前に世間を激震させた〝TBS乱交パーティー〟に関わった人物だ。
月刊誌『噂の真相』で自称・芸能プロ社長のY氏が主催した〝TBS乱交パーティー〟が報じられたのは、1999年7月。その後、写真週刊誌がパーティーの写真を掲載したことで、芸能界はパニックに陥った。
「当時、若手俳優たちが定期的に東京・渋谷のマンションでハメを外したパーティーを開いていた。その中には、TBSの人気アナや同局幹部もいた。接待要員は、主に深夜バラエティー番組『ワンダフル』のアシスタントで、通称・ワンギャルと呼ばれたタレントの卵や女子大生、OLたち。そのパーティーをコーディネートしていたのがY氏だった」(芸能プロ関係者)
パーティーに参加した男性陣としては、『KinKi Kids』の堂本光一、『TOKIO』の長瀬智也と山口達也、俳優の東幹久、いしだ壱成、小橋賢児、加藤晴彦といった当時の若手人気タレントらの名前が取り沙汰されたものだ。
〝TBS乱交パーティー〟は20年たっても消えない「黒歴史」
「ワンギャル出身者には、釈由美子や国分佐智子ら有名になった芸能人もいる。番組で司会をやっていたのが東幹久です。彼がパーティーの中心的人物だったため、〝番組ぐるみ〟といわれたのです。しかし、参加者がジャニタレや大手プロ所属だったため、ワイドショーや芸能マスコミは後追い取材をせず、黙殺した」(取材記者)
唯一、バッシングされたのは弱小事務所の所属だったいしだ壱成と、パーティーには参加していないのに父親というだけでトバッチリを受けた石田純一だった。
「TBSの幹部まで乱交パーティーの恩恵に浴していたのですからね。約20年たっても黒歴史は消せません」(元TBS役員)
同騒動から8年後、Y氏はシンクタンク会社を立ち上げ、旧民主党の政治家に食い込んでいった。現在では〝令和の政商〟とまで呼ばれているという。
「Y氏は一部で『永田町のタニマチ』とか『政界のフィクサー』と囁かれるようになった。盟友の柿崎氏が首相補佐官に就任したことで、Y氏は菅政権にも影響力を発揮するでしょう」(永田町関係者)
くれぐれも〝菅邸〟乱交パーティーにはご注意を。
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