織田軍と長篠で戦い、鉄砲の三段撃ちの前に惨敗した武田軍の将兵たちが心と体の傷を癒すために湯治したという伝承を持つ群馬県の伊香保温泉。
それから450年近い年月を重ね、行き交う人々の装いは変われど、温泉に魅了される人々の心は変わらない。戦国時代に作られた石畳をはじめ、明治時代以降は多くの文人たちが湯治に訪れたこともあり、いまも由緒ある温泉地として知られている。
そんな伊香保温泉には、文化的な温泉地とは別に、もう一つの顔がある。かつて外国人の娼婦たちが体を売っていた色街としての顔である。
今年3月、私はこのコロナ禍の中、外国人の娼婦たちがどのような状況にあるのか取材するために足を運んだ。
外国人娼婦たちが体を売っていた通りは、伊香保温泉のメインストリートである石畳から脇道を入った場所にあり、地元の人からは「外人通り」と呼ばれている。最も街が賑わったのは、これはどの色街にも言えることだが、バブルの頃だ。老舗ホテルの男性従業員が言う。
「当時、ここは日本なのかと思うぐらい、外国人の女性が多かったんですよ。タイ人とかフィリピン人だらけでした。家族で温泉に来たら、目のやり場に困ったほどでした。一部のホテルでは、暗黙の了解で、女性たちを連れ込むこともできましたよ。東京だけじゃなくて、地元からもひっきりなしにお客さんが来ましたね。ここで商売をしている人たちでしたし、他の部屋に忍びこんで盗みをしたりするなんてこともなかったですから、彼女たちが出入りしても問題なかったんですよ」
外国人娼婦たちは、バブル後もこの街で体を売り続け、今から4年ほど前の2017年には、カンボジア人娼婦たちに売春を強要したとして、日本人男性2人とタイ人女性1人が逮捕されるという事件も起こった。
まだまだ団体の客がいることに驚いた…
かつて、伊香保でスナックを経営していた女性に話を聞いた。
「カンボジア人の女性は、みんな若くて可愛かったよ。お客さんもいっぱい来たけど、店のオーナーが2万円で体を売らせていたのに5000円しか渡さないんで、それで女の子たちが怒って大使館に連絡したんです。あと、オーナーが手を出したりしていたのも女の子たちが怒った原因でした」
伊香保の外人通りには、全盛期で200人からのタイ人を中心とした外国人娼婦たちがいたという。
緊急事態宣言が出された後の伊香保温泉を歩いてみた。首都圏から客足が遠のいたこともあり、休館となっているホテルもあった。
例の外人通りに向かった。多くの店は看板に明かりが灯らないままだったが、今も数軒の外国人スナックが営業していた。
私は、タイ人の女性たちが働く店に足を運んだ。ママのほか、2人のホステスがその店にはいた。
25歳の、ノックと名乗る女性が言う。
「お客さんは去年より少ないですけど、東京からグループで来たり、地元の人も来てくれます。けど、厳しいことに変わりはないです。稼げないので、女の子も1人、辞めてしまいました」
まだまだ団体の客がいることに驚いた。私は取材に来たことを打ち明けて、後日、詳しく話を聞かせてくれないかとお願いした。すると、彼女は「いいですよ」と了承してくれた。
後日、ノックから連絡が入った。しばらく店が閉まることになり、彼女もこれを機に店を辞めるという。彼女が暮らしている群馬県内のとある町で話を聞いた。
「プロの売春婦だとは思ってません」
「私は日本に来て3カ月になります。これまで日本に来たのは3回。最初に来た時は、新潟県の工場で働きました。もっと稼ぎたいと思って、友達に相談したところ、伊香保で働けば稼げると聞いて働くことにしたんです」
売春について聞いてみた。
「そのことについては、イエスともノーともいえます。すべてのお客さんとホテルに行くわけではありません。ただ、稼げるというのは、体を売るからです。いい時には、1カ月で50万から60万円くらい稼ぐことができました。ただ、これまで体を売る仕事をしたことはなかったので、自分のことはプロの売春婦だとは思ってません。我慢してお金を稼いで、タイに帰ってビジネスをしたかったんです」
辞める直前は月20万円ほどしか稼げなかったという。
「ただ、ここで働いていると、生活費はほとんどかからないので、お金をタイに送ることができました。できる限り、別のところで働き続けたいと思っています」
この10年の間に多くの外国人娼婦たちがここ伊香保から去るなかで、なんとかここまで持ちこたえてきた彼女たちだが、それももう限界ということか。事実、コロナで客足が遠のいたことにより、外国人が働くスナックばかりでなく、以前は営業していたストリップ劇場なども休館となっていた。
コロナ以前、タイからは多くの観光客が日本に足を運び、日本で体を売るじゃぱゆきさんの姿は昔日のものとなったのではないかと思っていた。ところが、今も日本に頼る外国人女性は少なくないことを思い知らされた。彼女たちのためにも、1日も早くコロナが収束することを願わずにはいられなかった。
八木澤高明(やぎさわ・たかあき)
神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。
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