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未確認飛行物体25機がロサンゼルス上空に来襲も忽然と消え…【太平洋戦争の怪事件①】

(画像)Krakenimages.com / shutterstock

真珠湾攻撃からおよそ3カ月が経った昭和17年(1942年)2月25日、日本軍が各地の戦線で連合軍相手に連戦連勝を続け、アメリカ西海岸の沿岸地域に展開していた日本軍の潜水艦による攻撃で、アメリカのタンカーや貨物船が数多く撃沈。西海岸を防衛するアメリカ軍や住民たちの間で、日本軍による本土攻撃を警戒していたときに事件は起きた。

「ロサンゼルス上空に日本軍襲来! 空襲警報! 敵機25機!」

午前1時44分、アメリカ陸軍の防空レーダーが西方約190キロの地点に、アメリカ本土へと接近してくる未確認飛行物体を探知したのだ。

すぐさま沿岸の対空砲陣地や戦闘機基地に伝えられ、スクランブル態勢に移った。

約1430発の対空射撃も命中せず

午前3時すぎには、サンタモニカで実際に赤く光る飛行物体を、兵士だけでなく多くの市民も目視したため、陸軍第37沿岸砲兵旅団がこれを迎撃しようと対空射撃を開始。しかし、飛来する飛行物体に対して、陸軍第37沿岸砲兵旅団が午前4時すぎまでの間に約1430発の高射砲を発射するも、全く命中しなかった。

さらに、カーチスP-40戦闘機が出撃して迎撃を行ったものの、こちらも攻撃が飛行物体に命中することはなく、失敗に終わる。

その後、飛行物体は、太平洋沿岸地帯を悠々と約20分間にわたり飛行し、やがてレーダーから忽然と消えて、どこかへ行ってしまった。

目撃した市民たちからは、「どこからともなく現れた小型の飛行物体がジグザグに飛び回っていた」とか「30機から40機の飛行物体が高速で飛び回り、交差したり追いかけっこをしたりしていた」などの詳細な目撃談が報告されたほか、実際に写真も撮られている。

のちに公開された陸軍の報告書にも「非常に遅い速度から時速200マイル(約322キロ)にいたるさまざまな速度で、9000フィートから1万8000フィート(約2740メートルから約5480メートル)に及ぶ高度で飛行した」と具体的に記録されている。

太平洋戦争の怪事件②に続く

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