今なら、誰もが「UFOではないか?」と推測するが、1942年当時は、まだ「UFO」という概念が存在していなかった。
〝地球外生命体の乗り物〟という意味でのUFOという言葉が用いられるようになったのは、終戦後の昭和22年(1947年)以降である。
このため、サーチライトに照らされた飛行物体の証拠写真まで存在しているにもかかわらず、空爆などの攻撃は一切なかったため、事件の起きた25日の午後、フランクリン・ノックス海軍長官が、「日本海軍機と思われる飛行物体の飛来とその後の警報は誤報であり、攻撃も確認されていない」と発表し、幕引きを図っている。
結局、レーダーのみならず大勢の人々が目撃し、軍が実際に大規模な迎撃をするまでにいたった、この飛行物体は何であったのか。
大規模な戦闘で民間人6名死亡
日本海軍の記録では、この日の潜水艦もしくは航空母艦とその艦載機によるロサンゼルス市一帯への空襲は、一切記録されていない。
アメリカのマスコミでは「日本軍が飛ばした爆弾付き気球(風船爆弾)ではないか」という報道もなされたが、日本軍の風船爆弾が実戦で使われるようになったのは、太平洋戦争終盤の昭和19年(1944年)11月以降のことだ。
当時、活動中だった他のアメリカの陸・海軍航空機を敵機であると誤認したのではないかとも指摘されたが、この海域に他の部隊がいたという報告はなく、誤認の可能性は否定されている。
結論からすると、現在にいたっても、この飛行物体の正体はわかっていない。
UFOの専門家やオカルトファンからは、この事件こそが地球外生命体の飛行物体に対して、人類が戦闘をしかけた初めての事件であると信じられているほどだ。
とにかく、謎に包まれた不可思議な事件であったことは間違いない。現在、アメリカはUFOの情報公開を進めているが、この件でもいずれ明らかになる新事実もあるかもしれない。
なお、飛行物体からの攻撃は一切なかったものの、ロサンゼルス市内には陸軍が迎撃のために発射した対空砲火の破片が多数散乱することになり、この破片に当たった地上の3人が死亡。さらに突然の「日本軍機襲来!」という警報と、対空砲火に驚いた市民3人が心臓麻痺で死亡したという。
これらは、第二次世界大戦中のアメリカ本土における初めての「戦闘による民間人の死亡者」であった。
太平洋戦争の怪事件③に続く
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