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尊富士110年ぶり快挙の秘密は「入門先の選択」宮城野部屋入りも選択肢の1つだった?

両国国技館
両国国技館 (C)週刊実話Web 

ビッグヒーローの誕生だ。大荒れの大相撲春場所は、幕尻で、まだ大銀杏も結えない尊富士が、大正3年夏場所の両国以来、110年ぶりの新入幕優勝をやってのけた。

序ノ口から所要10場所の優勝も、明治42年夏に優勝制度ができて以来、史上最速。さらに三賞も総なめ。それも、14日目の朝乃山戦で右足首のじん帯を痛め、休場も心配されたアクシデントをはねのけてだ。

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とてつもない快挙を成し遂げた尊富士は、「記録よりも、記憶に一つでも残りたくて必死に頑張った。ケガしたことで、たくさんの人から励ましのメールをいただいた。それに応えるためにも、自分を信じて土俵に上がった」と胸を張った。

快挙の秘密は何か。それは1年10カ月前の入門先の選択にあったと言える。

「伊勢ケ浜部屋に入ってよかった」

尊富士は鳥取城北高、日大とアマ相撲の強豪校出身。このコースをたどった卒業生の多くは、優勝45回の元横綱白鵬が師匠の宮城野部屋入りしている。

だが、尊富士は同じ青森県出身の元横綱旭富士が師匠の伊勢ケ浜部屋に入門。その理由を「ケガで序二段まで落ちて、そこから這い上がった横綱(照ノ富士)がいる。この人についていけば間違いない、と思った」と話している。

「2人は鳥取城北高の先輩後輩で絆は強い。稽古場の照ノ富士は厳しく、この場所前も(初場所で)十両優勝したぐらいでなんだ。もっと考えて行動しろと叱咤していた。しかし、土俵を離れると優しい兄貴。14日目にケガをしたときも病院の治療に4時間近くもかかったのに、ずっと宿舎で待っていてお前ならできる、と背中を押した。尊富士は伊勢ケ浜部屋に入ってよかった、とこの場所中も何度も話しています」(担当記者)

片や、宮城野部屋はいま、北青鵬の暴行に端を発して消滅の危機に。この場所後は伊勢ケ浜一門のどこかの部屋に吸収されることが決まっており、春場所中も一門の次期理事に決まっている浅香山親方(元大関魁皇)を中心に協議が続けられていた。

このため、弟子たちも相撲に集中できず、成績はいまひとつ。優勝した尊富士はいま一度、胸を撫で下しているに違いない。

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