田淵幸一「村山タイガースなら帰るが、阪神タイガースなら帰りたくない」2代目ミスタータイガース・村山実の素顔

日本プロ野球名球会オフィシャルサイトより
ぶっちぎりでリーグ優勝を果たした阪神タイガース。チーム一丸となってのVだが、どこか物足りないのは掛布雅之以降、「ミスタータイガース」と呼ばれる超スター選手がいないこと。2代目ミスタータイガース・村山実の実像を元スポニチ担当記者・吉見健明氏が明かす。

1970年に村山実は兼任監督に就任

村山実の現役時代は、腱鞘炎、内臓疾患、複雑骨折、血行障害、結核と、まさにケガと病気の闘いであった。

それでも苦難に遭うたびに復活し、晩年は技巧派投手として熱投を続けた。

引退2年前の1970年に記録した防御率0.98は、規定投球回数に達した投手では戦後唯一の0点台。まさに「2代目ミスタータイガース」だった。

その1970年、村山は兼任監督に就任している。

当時は南海・野村克也(兼任)、西鉄・稲尾和久が初監督に就いており、阪神もこれに倣って村山を起用したわけだが、結果はわずか3シーズンで退任を余儀なくされてしまう。

原因は村山の采配力というより、阪神名物のお家騒動にあった。

そもそも就任までの経緯もドロドロで、前年から球団内部では派閥争いが渦巻き、後藤次男監督の下で村山が投手コーチ兼任、吉田義男が守備コーチ兼任となり、2人の次期監督レースが過熱していたのだ。

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