田淵幸一「村山タイガースなら帰るが、阪神タイガースなら帰りたくない」2代目ミスタータイガース・村山実の素顔

「裏で田淵を支えてやってくれ」

そんな面倒見の良さは江夏のようなスター選手だけでなく地味な選手にも同様だった。

例えば、田淵幸一が入団した翌年、阪神は法政大で田淵の1年後輩だった投手の樫出三郎をデュプロ印刷機からドラフト外で獲得しているのだが、兼任監督になったばかりの村山はこの獲得のため自ら足を運んでいる。

村山の口説き文句は「もし野球がダメでもマネージャーの職を用意する。裏で田淵を支えてやってくれ」というものだった。

獲得には若きスターだった田淵の要望もあったが、村山らしいのはこの後だ。

樫出はプロの水に馴染めず、わずか1年で現役を引退。その後は宝石店に勤務することになる。村山はそんな樫出を気にかけ、何かと面倒を見ていたそうだ。田淵もこの村山の義理堅さにいたく感謝していた。

村山の親分気質は、記者であった筆者にも大きな影響を残している。

忘れられないのは入団2年目の田淵が広島戦で左こめかみに死球を受け、耳から血を流して昏倒したときのこと。真っ先にベンチを飛び出したのは村山監督だった。

後に「弟分が倒れてるのを見て飛び出さん奴は人でなしや!」と語っていた。まさに親分の矜持である。