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浅丘ルリ子は中学生で大人を圧倒! 大女優の勝負勘~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

浅丘ルリ子
浅丘ルリ子 (C)週刊実話Web

1954年、読売新聞に掲載されていた北条誠の人気ジュニア小説『緑はるかに』の映画化に際して、日活が出演者を一般公募した。その結果、およそ3000人の応募者の中から朝丘ルリ子がヒロインの少女役に選ばれ、芸名は同映画の役名から取られた。ちなみに本名は浅井信子である。

日活初のカラー作品として映画は翌年に公開される。当時、ルリ子は弱冠14歳で、のちに多くの映画で共演することになる石原裕次郎や小林旭より、1年早い銀幕デビューであった。

57年に裕次郎がブレークすると、日活は男性アクション路線を進むことになる。裕次郎、旭に、赤木圭一郎、和田浩治を加えた〝ダイヤモンドライン〟が形成され、のちに宍戸錠や二谷英明が参加。ルリ子は北原三枝、芦川いづみらとともに、アクション映画のヒロインとして重宝がられた。

中でもロマンスがささやかれた旭との共演が多く、特に59年から61年にかけては3年間で30作品が量産されている。しかし、ゴールインも時間の問題と思われた矢先、旭と美空ひばりが電撃結婚したため名コンビは自然消滅した。

その後、破局のショックからルリ子の生活は荒れたが、裕次郎に励まされて根性で再起。ルリ子と裕次郎は『銀座の恋の物語』『憎いあンちくしょう』で息が合ったところを見せた。64年には2人でデュエット曲『夕陽の丘』を発表し、143万枚を売り上げている。

ルリ子は日活の看板女優として数多くの映画に出演していたが、以前から仲のよかった佐久間良子の初主演映画『五番町夕霧楼』(東映/63年)を見てショックを受ける。

「女性映画の主人公をやれる佐久間さんがうらやましい。私は男性映画のサシミのツマのようなもの。代表作として賞をもらえるような仕事をしたい」

そうメディアに訴えたのだ。契約更改では、他社への出演を認めてほしいと直談判。その後は会社が準備した企画を蹴り、ルリ子が自分で企画を出すようになったので、映画への出演ペースが落ちてしまった。

石原プロへの移籍で成功!

ルリ子は66年に日活との専属契約を解消し、石原プロへと入社した。私、灘麻太郎がルリ子に初めて出会ったのはその頃だった。

灘「麻雀が強いと聞いていますが…?」

ルリ子「中学生のとき、父がやっているのを見て覚えたの。当時、日活の人たちとやって勝ってしまったから、それで強いと噂が…。最近は負けることだってあるんですよ」

灘「仕事も順調そうで…」

ルリ子「そう。『栄光への5000キロ』(松竹/69年)が最近の映画なの」

灘「仕事が順調なとき、幸せなときは、麻雀も勝てるものなんです。噂で聞きましたよ。ルリ子さんから満貫アガって勝てると思ったら、最終局でハネ満をツモられて逆転されたと…」

ルリ子「あらっ、そんなこともあったかしら…」

灘「いや、勝負勘、回復力の差なんですよ」

ルリ子「ツイているだけなんですけどね」

麻雀では打ち込んでもいい。その倍以上を取り返せば勝てるからだ。この勝負勘、回復力が、麻雀が強い人には素質として備わっている。

当時の石原プロには、渡哲也を筆頭に麻雀好きが多くいた。そういう意味でもルリ子にとって日活からの移籍は成功だった。社長の裕次郎も麻雀を打っていたと、長門裕之に聞いたことがある。

「裕ちゃんは、どんなゲームをやっていても飽きやすいんだ。すぐに『飽きたよ、ほかのことやろう』って。麻雀もそう。飽きないのは奥さんだけなんだ(笑)」

ルリ子は68年にNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』に出演。翌年には歌手として『愛の化石』をヒットさせたが、石原プロが劇場用の映画製作から撤退したことにより、72年に退社している。

“寅さん”との結婚を監督に懇願

映画『男はつらいよ』シリーズでルリ子が演じたクラブ歌手「リリー」の役は、マドンナとしてシリーズ最多4回の出演を数えた。渥美清の遺作となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(松竹/95年)でもマドンナ役を務めたが、この撮影現場で具合の悪そうな渥美の姿を見たルリ子は、山田洋次監督に「最後の作品になるかもしれないので、寅さんとリリーを結婚させてほしい」と懇願した。

一方、山田は50作までの製作を想定しており、すでに49作目が決定していたため、ルリ子の願いはかなわなかった。渥美は映画公開の9カ月後にこの世を去り、96年8月13日に松竹大船撮影所で開催された『渥美清(寅)さんを送る会』では、リリーとして渥美に向けて弔辞を読んでいる。

私生活では71年、ドラマ『2丁目3番地』(日本テレビ系)での共演をきっかけに石坂浩二と結婚するも、2000年に離婚。ルリ子は姉御肌の性格で、大原麗子を実の妹のようにかわいがっていた。松原智恵子も新人時代から洋服などをプレゼントされたり、自宅に招かれて手料理を振る舞われたり、現在まで関係が続いているという。

後輩で妹分の加賀まりことは、普段から映画、舞台を一緒に見に行き、飲食を共にするなど昵懇の間柄で、「まりことは昔からよく喧嘩はするが仲がいい」と話している。麻雀も何度となく打ち合っており、まりこは阿佐田哲也の小説が原作の映画『麻雀放浪記』(東映/84年)にも出演している。麻雀好きの2人は、特に馬が合ったと思われる。

(文中敬称略)

浅丘ルリ子(あさおか・るりこ)
1940(昭和15)年生まれ。55年に銀幕デビュー。日活の看板女優として数多くの映画に出演し、ヒロイン役で人気を博した。その後は舞台、テレビにも活躍の場を広げ、昭和の大女優として存在感を示す。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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