ビートたけしが時たま披露するギャグ「オシャ、マンベ」の元祖が由利徹であることは、昭和生まれなら誰もが知るところだろう。
両手を股にあてがい力を入れて「オシャ」と発声した後、ゆっくり「マンベ」で手と股を開く。テレビで人気を得たギャグは一過性のものにすぎないが、「オシャ、マンベ」は時代が移り変わっても生き残っている希有な例だろう。
泉下の由利も、強力なギャグの後継者を得て大満足に違いない。一方、たけしも以前から、由利の芸風に一目置いていた。
ピストン堀口に憧れ、プロボクサーを目指して上京した由利は、やがて役者としてデビュー。ストリップ劇場のコントで鳴らし、1956年に八波むと志、南利明と『脱線トリオ』を結成した。
脱線トリオがお茶の間で人気を集めるようになったのは、公開録画の『お昼の演芸』(日本テレビ)だった。由利は、この番組で最初のヒットギャグを放つ。歌舞伎の効果音(ツケ)から着想を得たという「チンチロリンのカックン」である。このギャグの大ヒットで59年にはコミックソング『カックンルンバ』や映画『カックン超特急』(新東宝)が作られた。
由利は多数の映画に出演しているが、テレビでもバラエティーほか、ドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』『がんばれ!!ロボコン』『ゆうひが丘の総理大臣』などで、抜群の存在感を発揮している。
終生にわたって猥雑、いかがわしさを失わず、大衆コメディアンの王道を歩み続けた由利は、飲む、打つ、買うの〝男の三道楽〟を極めた遊びの達人でもあった。
「よく遊びは芸の肥やしだなんて言うだろう。俺はそんな言い訳なんかしないよ。元来、好きな道だもの。好きだからやる、ただそれだけの話だよ」
某組の親分と楽屋でトランプ博打
ギャグの天才児だけに、麻雀に関するエピソードも少なくないが、ストリップ劇場でコントに出演していた若い頃は、麻雀以上にカード(トランプ)に目がなかった。
「少人数でやれるし、楽屋で遊べるから、しょっちゅうカードをしてたっけ」
ある時、こんなことがあった。あと数日で刑務所に入らなくてはならない某組の親分が、由利のいる楽屋を訪ねてきた。
「その人には、とても世話になってね。特に博打じゃ、いいお客さんだった。麻雀打っても、トランプやっても、俺に小遣いをたっぷりくれるんだよ」
その日は、由利としばしの別れを惜しむ意味で、トランプのオイチョカブをやらないかと誘われた。
「俺は迷わず、すぐに受けたね。ところが、シャバで博打できるのも今日限りと思ったのか、その日の親分は強くて、あっという間にオケラにされたんだよ」
それでゲン直しを理由に、由利は踊り子から奇術に使うトランプを借りてきて、ゲームを再開した。裏側に小さな時計のマークが描かれており、どのカードなのか、見れば分かる仕掛けになっているのだ。
「無論、親分には分からない。相手が6なら俺は7、7ならば8というように、負ける道理がないんだ。それで収支トントンになったところで、踊り子にカードを捨てに行ってもらった。いつバレるか冷や冷やだったよ」
生前の由利とは何度か麻雀を打つ機会があった。酒席をともにした折、愉快な話を聞いた。
由利「タンヤオの手だった。萬子、筒子、索子で四五六の三色。筒子は待ちの五筒でイーペーコーとなり、雀頭の二万がドラでねぇ」
これだけでも、ヤミテンでハネ満になる。
由利「ところが、その時の俺は大負けしていたから、リーチを掛けて倍満ツモにしない限り、逆転トップにならないのよ」
灘「ツモに自信あったんですね」
由利「場には1枚も捨てられていないし、男度胸のリーチよ」
四筒が五筒に“化けた”理由
しかし、肝心のツモがよくない。場はどんどん進行していき、由利にはあと1回しかツモのチャンスが残されていなかった。
由利「そしたら対面の男が、自分の牌を引いてくるときに隣の牌を落としたんだよ。その牌は次に俺が引いてくる予定だったから、俺は素早く元に戻した。運よく誰も見ていなかった」
その牌は残念ながら、五筒ではなくて四筒だった。
由利「で、話はここからなんだ。俺は自分の最後のツモ牌をバシッと叩きつけて、勢いよく『ツモ』って叫んだよ」
灘「でも、四筒では上がれないし、チョンボになるのでは?」
由利「いえね、その牌でアガリなんだ。自分のツモ番が来る前、鼻の穴に指を突っ込んで、丸めた鼻クソを四筒の真ん中に塗りつけ、五筒にしちゃった(笑)。誰も気づかずに、俺はしめしめ大逆転トップだよ」
その話を数日後、左とん平にしたところ、あっという間に広まってしまったらしい。
灘「ところで、オシャマンベのギャグの由来は?」
由利「あれは(高倉)健さんの映画『網走番外地』で、北海道の長万部にロケで行ったとき生まれたんだよ。あそこは酒がうまいし、姉ちゃんもきれいだったから、何か宣伝してあげたいと思いついてね」
実際、このギャグが有名になったため、葬儀の際には長万部町から弔電が届いたという。
(文中敬称略)
由利徹(ゆり・とおる)
1921(大正10)年5月13日~1999(平成11)年5月20日。1942年に東京のムーラン・ルージュ新宿座で初舞台。56年に『脱線トリオ』を結成。トリオは62年に解散するが、その後も映画やテレビで活躍。92年には日本喜劇人協会会長に就任。
灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。
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