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ヴォルク・ハン「私はマエダの兵隊だ」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

ヴォルク・ハン「私はマエダの兵隊だ」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”
ヴォルク・ハン「私はマエダの兵隊だ」 (C)週刊実話Web 

カール・ゴッチからUWFへと受け継がれた技術とはまた違う、見たことのないような関節技をどんな体勢からでも繰り出してくるヴォルク・ハン。前田日明の興した『リングス』を語るとき、欠かせない選手の1人だろう。

前田日明の引退試合の相手となったアレクサンドル・カレリンは、レスリングのグレコローマンでオリンピック3連覇、公式戦13年間無敗(前田戦の時点では12年間)の戦績を誇り、古代オリンピアから現代まで含めて、レスリング史上最強といわれる選手である。そんなロシアの英雄が現役中に他流試合に臨むなど、まさに異例のことだった。

例えるならば、柔道の山下泰裕がその全盛時に、アメリカでハルク・ホーガンと試合をするような感じだろうか。いや、カレリンの場合は国際大会での活躍が、ロシアの威信と直結するような立場にあったわけだから、いくら山下が国民栄誉賞といえども、それ以上の衝撃であった。

実際、試合の直前まで周囲には、反対の声が多くあったようだ。

それでもカレリンがこの試合を受けたのは、リングス・ロシアの代表で、ソビエト連邦時代には国家スポーツ省の事務次官を務めたウラジミール・パコージン氏が、「ソ連崩壊によってスポーツ振興が途絶え、食えなくなっていた我が国の格闘家たちが、前田の尽力によって何十人も救われた。ロシアの英雄といわれているあなただ、そんな男のために1試合やるくらい、いいじゃないか」と涙を流してカレリンに訴えたからだと、のちに前田は語っている。

つまり、ロシア選手に仕事の場を与えてくれた前田への感謝から、試合を受諾したというわけだ。

誰も見たことのないような関節技を次々と披露

リングス初期から参戦していたヴォルク・ハンもまた、パコージン氏の言うところの「前田の尽力によって救われた格闘家」の1人であった。

1991年に初来日、前田との対戦となったハンは、これまで誰も見たことのないような関節技を次々と披露した。どんな体勢からでも毒蛇のように絡みつき、前田の攻勢かと思いきや、いつの間にかハンがまるで手品のように関節を取って、たまらず前田がエスケープするような場面も見られた。

この初戦では敗れたハンだが、インパクトは絶大で、たちまちリングスで1、2を争う人気外国人選手となった。前田とは九度対戦して4勝を挙げ、リングス最強を決める『メガバトルトーナメント』で2回優勝するなど、戦績面でもトップの一角を占めるまでになった。

旧ソ連軍の特殊部隊出身、軍隊式格闘術に由来するコマンド・サンボの使い手ということで、「冷徹な格闘マシン」といった印象もあるが、実はエンターテインメント的な思考のできる選手であった。

前田が選手発掘のためにロシアのサンボ大会を視察に訪れた際、これを事前に知っていたハンは普段なら使わないような大技を披露し、それで前田がハンの招聘を決めたという。

また、後年のインタビューでは「リングスの試合ではあまり勝敗にこだわらず、自分の技術を駆使してファンに喜んでもらうことを優先した」とも語っている。

そんなハンにとって、初期のリングスが採用していた「エスケープありのロストポイント制」は、見せ場をつくるのには恰好のルールだった。ハンの登場によって、リングス全体のグラウンド技術が向上したところもあった。

ノゲイラを相手に真の実力を発揮

だが、90年代末期に総合格闘技ブームが起きると、リングスでもそれに対抗してKOK(キング・オブ・キングス)ルールを導入することになる。

総合寄りになったこのルールは、それまでのリングスルールよりもスタンドでの打撃が重要になり、膠着状態を避け、また安全性を確保するため、グラウンドでのブレイクを早めに取るようになった。

このようなKOKルールは、まったくハンには不向きなものであり、しかも、新たなルールに挑戦ということは、すでにアラフォーだったハンにとっては厳しいものがあった

ハンのコマンド・サンボは、戦場で相手がナイフなどの武器を所持していることを想定しており、そのため、スタンド状態から直接的に繰り出される打撃などは、もともとあまり得意ではなかった(逆に「お互いにナイフを持ってのサバイバルゲーム的な闘いであれば、リングスの選手全員が相手でも勝てる」と言っていたそうだが…)。

そのため、ハンは第1回『KOKトーナメント』に参加しなかったが、しかし、興行的には人気選手のハンが必要であり、そのため前田は直々に参戦を打診した。

これを受けてハンは「私はマエダの兵隊だ。将軍の決めたことには従う」と試合を了承。冒頭に挙げたカレリンと同様に、恩ある前田の頼みであればと新ルールに即した戦略を練って試合に臨み、第2回『KOKトーナメント』に初挑戦で2連勝を果たした。

のちにPRIDEヘビー級王者となるアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと、2001年2月の準々決勝で対戦した際も、結果、負けたとはいえ判定にまで持ち込んで、ファンから大きな喝采を浴びたのだった。

《文・脇本深八》

ヴォルク・ハン
PROFILE●1961年4月15日生まれ。旧ソビエト連邦(現ロシア・ダゲスタン共和国)出身。 身長190センチ、体重107キロ。得意技/クロス・ヒールホールド、首極め腕卍、ビクトル式膝十字固め。

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