
アントニオ猪木「誰でもいい、俺の首をかっ切ってみろ!」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”
「プロレスラーとしてのアントニオ猪木は尊敬しているが、リングを下りた猪木寛至は大嫌い」というのは、かつての新日本プロレス関係者がよく口にしていたこと。そんな猪木の特異性が如実に現れた事件が、1983年に発生した「新日クーデター」だった。
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1980年前後の新日本プロレス黄金期。その絶頂の裏側で、アントニオ猪木はプロレス以外の事業にのめり込んでいった。
そもそも最大の失敗であるアントン・ハイセル事業は、モハメド・アリ戦より前、当時の妻である倍賞美津子の知人から話を聞いたことが発想のきっかけだったという。
ブラジル政府をも巻き込んだ「アントン・ハイセル社」は、それからおよそ5年が経過した80年に設立され、本格始動となった。
同年2月にはウィリー・ウィリアム戦が行われているが、そこでいったん異種格闘技路線がストップしたところを見ると、この頃になってようやくアリ戦でつくった借金返済のめどが立ったものと思われる(もともとアリ戦以降に行われた異種格闘技戦は、新日がテレビ朝日につくった借金の返済を主目的として始まり、通常の試合中継とは別の特番枠で放送されていた)。
同年には、プロレスにおいてもIWGP構想が生まれている。猪木としては「ようやく借金の重しがなくなったから、新たなアドバルーンをぶち上げよう」と、夢と希望に胸を膨らませていたのだろう。
なお、初代タイガーマスクの登場は翌81年のことだから、「タイガー人気で稼いだお金を使ってビジネスを始めた」というわけではない。猪木の視点で言えば「ビジネスの資金繰りに窮したタイミングで、タイガー人気の慈雨に恵まれた」といったことになる。
アリ戦の“屈辱”を晴らしたかった!?
アントン・ハイセル失敗の要因は、大きく2つあった。まず「サトウキビの搾りかすから牛の飼料を生み出すという事業の核心技術が、まだ研究段階で実用化できるシロモノではなかった」こと。次に「70年代から続いていたブラジルのハイパーインフレのため、予想をはるかに上回る資金が必要になった」ことである。
どちらも事前に調査をしていれば、すぐに分かるようなリスクであったが、それよりも猪木の「地球規模の環境問題を解決する」という名誉欲が勝ってしまったのだ。
猪木としては、アリ戦という最大級のサプライズを実現させながら、世界的な名声を得られなかったことが、心の傷となった部分があったのではないか。そのような屈辱を晴らしたいとの気持ちが、猪木をアントン・ハイセルに盲進させ、それ以降の「平和の祭典」や「永久機関の開発」などの活動につながっていったのだろう。
事業欲が上昇し続けるその一方で、リング上においてはIWGPを始動させたにもかかわらず、82年に糖尿病で長期離脱するなど、体調面の不安が顕著になっていた。延髄斬りなど瞬間的な技で勝利することが増え、一部では「手抜き」などと揶揄されたりもした。
結局、83年に猪木が新日の社長職から追われるクーデター事件が勃発したのも、もちろん「乱脈投資」への反発はあったに違いないが、それ以上にレスラーとしての衰えを見透かされたところが大きかった。
希代のカリスマとして、先頭に立って新日を引っ張っていた時代ならまだしも、力の衰えた猪木に好き勝手はさせられない。そのような思いがクーデター一派にあったのだとすれば、それもまたプロレスラーらしい感性と言えそうだ。
逆境で再燃したプロレスラー魂
猪木に対して、社長解任の決議が下ったのは8月25日。その3日後には、第1回IWGP優勝戦での失神KO負け以来、約3カ月ぶりの猪木復帰戦が組まれていた。因縁深いラッシャー木村との一騎打ちに、延髄斬りからの卍固めで完勝した猪木は、その試合後にリング上でマイクをつかむと、乱入してきた長州力率いる維新軍団らに向け絶叫した。
「てめぇらいいか、姑息なマネをするな! 片っ端からかかってこい。全部相手にしてやる! 俺の首をかっ切ってみろ!」
「藤波だって、坂口、おまえもだ!」
すでに『東京スポーツ』などでは、社長解任が報じられていたことから、試合後の控室ではこれについての質問も飛んだが、猪木は次のように答えている。
「そんな生臭い話はしたくない。逃げていると思ってもらって結構。モノを考える次元が違う連中とは、話をしたくない。ハイセルがどうのと言う人間がいるが、俺は天地神明に誓って不正はしていない。将来の夢よりも目先のギャラが大事だと、連中が考えているのも分かった。ならばそれでいいというのが、今の俺の考え。とにかくプロレスラーはリング上だ。これからのリングで、1つ1つ片付けていきますよ」
その言葉の通り、およそ1カ月後に大阪で行われたラッシャー木村との再戦で、猪木は一方的に殴る蹴るで木村を戦闘不能にまで追い込む「キラー」ぶりを発揮してみせた。
クーデター騒動の逆境が、結果的には猪木のプロレスラー魂を再燃させる格好になったわけである。
《文・脇本深八》
アントニオ猪木 PROFILE●1943年2月20日生まれ。神奈川県横浜市出身。身長191センチ、体重110キロ。 得意技/卍固め、延髄斬り、ジャーマン・スープレックス・ホールド。
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