「応援は人生を代償にしてこそ美しい」プロ野球応援の革命児が栄光と挫折の末にたどり着いた真髄を激白!

ジントシオ氏
突き抜けた男たちの魂の叫びをお届けする連載企画「死ぬ前までにやっておくべきこと」。今回は、野球応援の革命家とも呼ばれたジントシオ氏のインタビュー第2弾。応援に捧げた波乱に富んだ半生を語ってもらった。

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千葉ロッテマリーンズのライトスタンドに激震が走ったのは2009年シーズン終盤のことだった。

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マリーンズのフロントに対し一部応援団が暴走し、選手の応援をボイコットするなど問題が大きくなってしまいライトスタンドから追われることになってしまったのだ。

彼らはかつてジントシオが共に戦い、共に喜びを分かち合っていた仲間である。

だがこの頃のジンは、あの自らの人生すらも燃やし尽くしてしまうような応援の熱狂から距離を置き、大手芸能事務所のマネジャーに就職して、自分の人生を歩み直していたところだった。

「そんなときに球団から『応援団に復帰してくれ』という要請がありました。問題を起こしたグループは一緒に応援していた仲間です。彼らは本当にマリーンズが好きで、野球が好きで、ボビー(バレンタイン監督)が好きな人たちでした。その思いは一緒だったはずなのに、ボタンの掛け違いで憎しみに代わってしまうことが起きてしまった。こんな悲劇を繰り返してはいけない。そのためには、既存の応援団の枠組みを壊す。俺は会社を辞めました。ボランティアの応援団に頼るのではなく、応援のプロフェッショナルを作りたかった。ファンが楽しめるイベントを企画したり、球団と応援団が一体となって球場にエンターテインメント空間を作ることを夢見ていました」

2010年。ジンは応援団に復帰した。

たった一人で応援団の再建を任されたジンは知り合いのつてをたどり団員を募ると、即席ながら8割方の応援歌を刷新して、3月3日のオープン戦で再出発を果たした。

当時は公には語らなかったが、業務委託という形で公式戦からCS、日本シリーズと全試合球場に通った。