「応援は人生を代償にしてこそ美しい」プロ野球応援の革命児が栄光と挫折の末にたどり着いた真髄を激白!



今度は東北楽天からオファーが…

応援団は団員の完全なる善意をもって成立している。

自腹で球場に通い、遠征し、生活を崩してしまう、そういう人を何人も見てきた。

だからこそプロ化の必要性を訴えてきたが、ジンを理解し、応援してくれる人たちでさえも「お金をもらって応援することは応援ではない」と思想は受け入れられないことが多く、プロ化への壁が想像以上に高いことを思い知らされた。

そしてジン自身、2013年から仕事と応援活動を両立させようとしたが、うまくいかず、どちらも中途半端な状態になってしまった。

「結局、何も変わらないのか」

2015年。ジンは応援団の枠組みを壊せなかったという失意のうちに、マリーンズを辞めた。

それでもフリーになったジントシオを世のスポーツ団体は放っておかなかった。

バスケの千葉ジェッツ、サッカーのSC相模原など、プロチームだけでなく、習志野や早稲田佐賀、奈良大附属など甲子園出場する高校のブラスバンドのために応援曲を書き下ろしもした。

「やっぱり、応援は『自分の人生を代償にしてこそ美しい』という美学が存在する。俺はそれを壊せなかった。だけど、それでも『このまま元ロッテ団長では終わりたくない、新しいことがやりたい』という思いが強く芽生えていました。実際に多くの人が喜んでくれて、歌ってくれる。俺、みんなで歌える曲を作るのが好きなんでしょうね」

2017年。ジントシオのもとに「プロ野球の応援に革命を起こしたい」という情熱的なオファーが届く。

プロ球団、東北楽天ゴールデンイーグルス球団社長から「応援を大幅にリニューアルするためのブレーンとなってほしい」というオファーだった。

願ってもない好機。だが、ジンは迷った。

なぜなら楽天には球団創設以来、存続してきた応援団がある。

そこに元マリーンズ応援団長の自分が入ればいらぬ反発を招くのは必至。

ジンは熟考した挙げ句、自らは裏方に徹し「現在の応援団との融合」を条件としてオファーを承諾。前代未聞の3球団目。応援のプロである東北楽天公認の応援プロデューサーとして、新たな道を歩み始めた。

(後編へ続く)

取材・文/村瀬秀信

「週刊実話」3月27日号より