「応援は人生を代償にしてこそ美しい」プロ野球応援の革命児が栄光と挫折の末にたどり着いた真髄を激白!



「みんな、お前のことを恨んでいる」

ジントシオ氏
前年の騒動で「マリンのライトスタンドから応援団がいなくなるのではないか」と心配していたファンは、思わぬジントシオの復帰に沸いた。

さぁ、気持ちを立て直してもう一度。そう思った矢先、試合前に昔の仲間の一人がやって来てジンに言った。

「みんな、お前のことを恨んでいるよ」

分かっていたけど、悲しかった。

「迷惑かけないようにします。すみませんでした」

ジンはそう言って、うつむくしかなかった。

「この年にマリーンズは下克上で日本一になるんです。表向きはカリスマとか持てはやされていましたけど、実情はそんなことない。大きく目立てば、それだけ妬まれて反発も大きくなる。それはいつの時代もそう。1990年代の後半に『マリーンズはサッカーの応援をパクってんじゃねえ』って叩かれていた頃、信濃町の歩道橋に『ジントシオ死ね』と書かれていたことがありました。高校3年生。ショックですよね。出入りしていた東京ガスの植田朝日さん(『ウルトラス・ニッポン』リーダー)に相談したんです。『目立てばそれだけ妬まれる世界だ。気にするな。それよりも、目の前にいる全員にお前の言葉が伝わっていることを忘れるな』。そう言われてある程度のことは我慢できるようにはなりました。でも俺はそれ以上に、球団に応援団のプロ化を公認してほしかった。そのつもりで会社も辞めたのに、始まってみたら球団担当者から『球団からお金は払っているが、仕事としてではない』と言われてね。話が違うじゃないですか。お金はもらっているのに、でも仕事じゃない。俺はなんなんだ。居心地の悪い立場だった。何より将来が不安だった。結局、3年で業務委託契約を解消し、以前のように他の仕事をしながら活動することになった」