先日、「名字」を取り上げたバラエティー番組が話題になっていた。
番組の中では、珍しい名字の有名人を紹介していて、例えば、三遊亭円楽師匠の本名が「會泰通(あいやすみち)」だったり、あばれる君の本名が「古張裕起(こばりひろき)」というそうで、意外なギャップが興味深い。
プロレス界も、意外と珍名が多い。「猪木」も、あんまりいないし「小鹿」「永源」も少ない。「飯伏」も、かなり希少らしいね。俺の「蝶野」という姓も本名なんだけど、これもなかなか珍しいみたいなんだよね。
そのルーツをたどっていくと、今の愛媛県のあたりに起源があるらしい。とにかく、名前に「蝶」がつくのは、他にあまりないんじゃないか。
子供のころは、「蝶野」という名字があんまり好きじゃなかった。「蝶」の画数が多いし、人に説明するのも難しくてね。電話だと、何度伝えても「え? 庄野さん?」とか、「チョウさんですか?」とか聞き返されたり、なかなか伝わらないんだよ…。
だから、普通の名前に憧れたこともあった。鈴木とか佐藤とかな。ハンコだってどこでも手に入りそうだしね(笑)。
でも、いまはこうして人前に出る仕事をさせてもらうようになって、一発で覚えてもらえる「蝶野」でよかったと思ってる。「アイム・チョーノ!」というフレーズも悪くない。
プロレスラーにはリングネームというものがあるけど、俺たちの時代は本名でそのままデビューするのが当たり前という風潮だった。ちなみに、俺と同期の闘魂三銃士である武藤さん、橋本選手の2人も本名だ。
天山は本名「山本」だったら成功しなかった(笑)
日本プロレスの時代は、先輩の思いつきでリングネームを付けることも多かった。大先輩の豊登道春さんがそういう名前をつけるのが好きで、「上田馬之助」「林牛之助」だったり、北沢幹之さんなんて、大分出身ということで強制的に「高崎山猿吉」というリングネームにさせられたそうだ。
それからは、アントニオ猪木さん、ジャイアント馬場さんのような、「カタカナ+名字」というスタイルもよく使われるようになった。
当時はボクシング選手もこういうリングネームが多かったりする。ちょっと特殊だったのは長州さんで「長州力」というリングネームは、公募で決まったんだよな。
そんな流れがいろいろあって、俺たちの頃は面倒くさくなっちゃって、もう本名でいくという感じだったのかもな。
新日本プロレスでは、それ以降も本名が多かったんじゃないかな?
天山は、最初は本名の「山本広吉」だったけど、凱旋帰国した時に「天山」に改めた。彼に関しては「天山」にしてよかったというか、もうそれ以外考えられないな。そのまま「山本」だったら、レスラーとして成功しなかったんじゃないかなって思うよ(笑)。
プロレスラーなら、海外に行った時に呼びやすいかどうかも意外と大事。俺の「チョーノ」は英語圏でも発音しやすいようで、どの国に行っても現地のレスラーから声をかけてもらえるし、覚えてもらえた。
珍しい名前を授けてくれた俺の家系に感謝しつつ、今後も「ガッデム! アイム・チョーノ!」と叫び続けさせてもらうよ。
蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。