高市早苗
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高市政権が断行する”影の被害者”救出に向けた「拉致事件解決戦略」は間に合うのか!?


【女性たちの北朝鮮拉致事件・後編】
ジャーナリストの岡本萬尋氏が、事件の謎に迫る「シリーズ戦後未解決事件史」。第5弾は、高市政権の樹立で再び脚光を浴び始めた「北朝鮮拉致事件」だ。2022年に5人の拉致被害者が帰国して以来、およそ四半世紀――進展のない事件の闇に、今再び岡本氏がメスを入れる。(全3回中の3回)

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失踪者の家族の元にかかった無言電話

その前年の’84年6月には甲府市の自宅を出たまま山本美保さん(同20)が姿を消した。「図書館に行く」とバイクで出かけたまま戻らず、4日後に遠く離れた新潟県柏崎市の海岸で美保さんのセカンドバッグが見つかった構図は美輪さんのケースと酷似している。

美保さんの自宅に無言電話がかかり始めたのは失踪の半年後。失踪の3年4カ月後と3年6カ月後の2回の電話は15分ほど続き、相手は家族の呼びかけをただじっと聞いている様子だった。後者の電話では、すすり泣くような声も聞こえたという。

’99年に脱北した北朝鮮国家安全保衛部の元幹部は、対日特殊部隊で見かけた女性が美保さんそっくりだったと証言している。

通信事情が悪い80年代の北朝鮮で国際電話をかけられる場所が多いとは思えないが、4年半も続いたという電話は人目を盗んだ美保さんの無言の訴えだったのだろうか。

この元幹部は同じ部隊で、’91年4月に埼玉県浦和市(当時)で行方不明となった佐々木悦子さん(同27)も目撃したと明言している。

元幹部によると、悦子さんらしき女性を見たのは日本からの電波を傍受する専門セクションで、問題の女性はタイプのようなものを打っていたという。際立った美貌だったため強く印象に残ったと語っている。

他にも’73年7月に千葉県市原市で失踪した古川了子さん(同18)を’91年に平壌の工作機関所属の病院で、’65年6月に東京都北区で姿を消した坂本とし子さん(同22)を北朝鮮の炭坑の町で見たとの脱北者の証言もある。

一方で’62年4月に千葉県海上町(現旭市)で行方不明となった加瀬テル子さん(同17)のように、脱北者が北朝鮮から持ち出したとする写真の女性が同一人物の可能性が高いとみられたが、後の警察庁の調査で別人と確認されるなど、特定失踪者の消息に一歩近づいたかと思うと再び遠ざかる、そんなもどかしさの中で時間だけが過ぎていく。

さらに奇々怪々なケースもある。’98年4月6日、新潟県長岡市の自宅から失踪した中村三奈子さん(同18)。高校を卒業したばかりの三奈子さんは同日午前、予備校に入学金を納めに行く予定で家を出たまま戻らなかった。

持ち歩いていたカバンや毎日塗っていたアトピーの軟膏もそのまま。入学金50万円が入った封筒は3万円だけが抜かれ「3万円借りました。私の通帳からおろしてください」とのメモが見つかった。

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