“85年組”デビュー40周年ライブが実現「美奈子、美穂の素晴らしい歌と共に想いを届けたい」

網浜直子は小誌で飯島愛さんとも対談

――網浜さんは過去、本誌で飯島愛さんとの対談にご出演されてます(’97年)。そこでは奔放な? 恋愛談義をされていましたが、そこもアイドルとしては異質だったんですね?
網浜「ショートヘアに日焼けしたボーイッシュな外見でしたから、確かにフリフリのアイドルの中では異質でしたね。女性のファンも結構多かったし、パジャマ姿でラジオ局に行き、ぼさぼさの寝ぐせのまま『おはようございまーす』みたいな。
それでも、ファンの方からは『まあ、アミハマだからね』なんて受け止められていました(笑)。事務所も厳しくなくて、当時としては異例の野放し状態だったんです。朝方まで遊んで、寝ないで現場に行ったこともあります」

――当時の遊びとは?
網浜「でもまあ、カワイイもんですよ。友達に迎えに来てもらい4、5人でドライブに行ったりとか、肝試しをしたり彼氏もいたけど、意外に私は一途だったので。
当時は写真誌が少なくてSNSもなかったからバレずに済みました。そんな私と正反対なのが、典子なんですよ」

――完全に“籠の鳥”だったんですか?
松本「まあそうですね。当時住んでいたアパートには隣にマネージャーさんも住んでいて、テレビの音とか食器の音も筒抜けでした。
ちょっと買い物に出かけると『どこに行ってたの?』と聞かれるし、見たことのある車がいるなと思ったら、中でチーフマネジャーさんが見張ってました(笑)。
でも、私自身が出不精だったので、少しも苦ではなかったんです。それを見かねた作詞家の麻生圭子さんが『色んなものを見なくちゃダメよ』と、私をドライブや食事に連れて行ってくださいましたね」

網浜「ほんと、私とは正反対。当時の典子はサミーと呼ばれてたけど、ジミー(地味)だったよね」