新内閣支持率わずか20%「冷えたピザ」と揶揄された小渕恵三のしたたかな政治家の顔

首相官邸HPより
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。前回の橋本龍太郎に続いて、今回から小渕恵三をお届けする。 

「真空総理」「冷えたピザ」と評された小渕恵三

橋本龍太郎首相(自民党総裁)の退陣に伴う後継総裁選挙は、時に自民党内で人気のあった田中角栄元首相の愛娘・田中真紀子いわく「凡人(小渕恵三)、軍人(梶山静六)、変人(小泉純一郎)」による3者の争いとなり、陸軍航空士官学校出身の梶山も善戦したが、最終的には竹下登、野中広務らの竹下派枢軸が推した小渕が勝利した。

平成10年(1998年)7月、時に小渕恵三、61歳だった。

政権発足時の小渕の評判は、芳しいものではなかった。

新内閣の支持率もわずか20%程度で、中曽根康弘元首相からは何でも受け入れる性格を指して「真空総理」、辛辣で鳴る海外メディアからは“味気がない”として、「冷えたピザ」とも揶揄された。

一方、その政治手法は前任首相である橋本の勝ち気な姿勢、官僚などを含めた部下との緊張感が漂う対峙ぶりなどと比べて、まったく異なっていた。

小渕は早稲田大学雄弁会(弁論部)の先輩だった竹下に、学生時代から何かと薫陶を受け、政界入りしてからも「師」として慕っていた。

すなわち、まず剛腕を示すということでなく、竹下流の「受け」「待ち」の政治手法で、合意形成型のリーダーシップを踏襲したのである。

加えて、初当選で竹下のいる佐藤派にワラジを脱いだが、その領袖の佐藤栄作元首相からは、長期政権の要諦は人事にありで、これは常に有力者との競争、牽制、均衡のなかにおいて絶妙に操る「チェック・アンド・バランス」であることを習得した。

その後、佐藤派を継いだ形の田中からは決断力、とりわけ部下を掌握する「信賞必罰」の厳しさを学んだ。

しかし、小渕は佐藤、田中の手法は胸に押し隠し、決して周囲に見せることはなかったのである。

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