田淵幸一“屈辱のトレード”全舞台裏 本人も知らない妻の一言「関東の球団がいい」

浮気は球団に筒抜けだった

実際、阪神入団時から関係のあった元宝塚の大物女優・Oと西宮のマンションで密会したり、一般女性・Kとの認知騒動が週刊誌に報じられたこともある。

筆者は問題が起きるたびに田淵の父親から「なんとか別れさせろ」「2人の仲を潰してくれ」と頼まれていた。こうした浮気相手との関係は博子さんの耳にも入っていた。

では、なぜこうした田淵のプライベートが球団にも伝わっていたのか。

実は当時、田淵と博子さんは甲子園球場の近くにあったH歯科に通っており、そこのH歯科医師と家族ぐるみの付き合いをしていた。

田淵の浮気に悩んでいた博子さんはH歯科医師に相談していた。

しかも、このH歯科には小津球団社長も通院していたため、田淵のプライベートは球団側に筒抜けだったのだ。

当然、阪神本社の田淵に対する印象は限りなく悪く、トレードやむなしとなったわけだ。

このルートで田淵のトレード話を聞いた博子さんはこう要望したという。

「トレードされるなら、関東の球団がいい」

これが小津球団社長にも伝わり、いくつかあったトレード候補の中から西武ライオンズに決まったのだ。筆者はこの話を博子さんから直接聞いている。

ちなみに、筆者は田淵と博子さんの結婚と離婚をスッパ抜いている。いずれにしても、田淵にとっては屈辱のトレードだったことは間違いない。

ただ、西武では監督の広岡達朗の下、主軸として初の日本一(’82年)、同連覇(’83年)を達成している。

そして’84年、田淵は現役を引退した。阪神で優勝経験がなかった田淵にとって、放出された意地はキッチリ晴らせたはずだ。

【一部敬称略】

「週刊実話」7月10日号より

阪神球団創設90周年ベンチ裏事件簿】アーカイブ

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。