田淵幸一“屈辱のトレード”全舞台裏 本人も知らない妻の一言「関東の球団がいい」

蚊の鳴くような声で「悔しい」と告白

どうやら深夜になって田淵が球団からホテル阪神に呼び出されたらしい。

急いで駆けつけると、ホテルには他紙の阪神担当記者たちが全社勢揃いで田淵が出てくるのを待ち構えていた。

ようやく記者団の前に姿を現した田淵は「西武へ行けと言われた。それもいきなりだ。人をバカにしている。これが10年間、阪神でやってきた者への仕打ちなのか。情けないよ」と、トレード通告されたことを明かした。

日付も変わった11月16日午前3時過ぎのことだった。

江川問題を追いかけていた筆者は、シーズン中は南海担当だったこともあり、田淵トレードの取材指令は出ていなかった。

それでもこの緊急事態に黙ってはいられない。関西での阪神のニュースバリューは絶大であり、まして田淵は高校時代からの親友でもある。

筆者はホテルでの会見を待たず西宮(兵庫県)にあった田淵の自宅マンションに向かい、エレベーターの前で帰りを待った。

帰宅した田淵の顔は真っ赤で筆者の顔を見ても無言のままだった。筆者も黙って田淵と並んで部屋に入った。

しばらくして田淵はようやく口を開いたが、蚊の鳴くような声で「悔しい!」とつぶやくのがやっとだった。

「ダルマ(田淵は筆者のことをアダ名で呼んでいた)、西武に行けと言われたよ。『根本(陸夫)さんは法政大の先輩だし、ライオンズでしっかり勉強してこい。広瀬さんや西本さんよりお前を育ててくれる』だと。納得いかなかったが、『もう決まったことだから』と問答無用だったよ」

少し落ち着くと田淵は交渉の様子を語り始めた。

広瀬叔功は当時の南海ホークス、西本幸雄は近鉄バファローズの監督だ。西武以外にこれら関西の球団からもトレード話がきていたということだった。

怒りと哀しさの入り交じった口調は最後まで変わらなかったが、それも当然だろう。

もともと、田淵はドラフトで巨人入りを希望していたところを阪神が強引に1位指名している。

事前に挨拶など一度もなく、指名された瞬間、田淵は「金づちで頭を殴られたようなショックを受けた」と言う。

それでも悩んだ末、阪神に骨を埋める決意をして入団した経緯がある。

筆者は「西武で意地をみせるしかない」と励ましたが、田淵は最後まで上の空。床に就いても眠れなかったようだ。