いつもの居酒屋で友人からアドバイス「おまえはツイッターをやれ」――しがない野球好きのサラリーマンは“野球考古学者”キタトシオとして生を受けた

キタ氏の帽子
突き抜けた男たちの魂の叫びをお届けする、村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前までにやっておくべきこと」。今週は“プロ野球考古学者”キタトシオ氏のインタビュー中編をお届けする。

【前編】“プロ野球考古学者”キタトシオに初インタビュー「縁が重なって『週刊ベースボール』で連載させてもらうことになっただけなんです」 

「神保町で餃子とビール飲って帰ってきた」

キタトシオ青年は夢を見ていた。

いつか、神様や仏様や稲尾様、プロ野球を舞台にした益荒男たちのくんずほぐれつな神話を書けたならばどんなにいいだろう。

就職活動で受験した本命はスポーツ新聞と出版社だった。

しかし、答えはすべてノー。中学生から読み続けてきたスポニチに弾かれ、スポーツ雑誌の権威である『Number』を発行する出版社には書類で門前払いされた。

トシオは夢を見ていたのだ。

現実は甘くない。世の中には俺なんかよりも優秀な野球好きがごまんといるのだ。

執着と淡い想いを捨てたトシオは、諦めという名の大人の階段を上り、一般企業に就職する。

「本気でスポーツ新聞社に入りたい人ならば、就職活動で塾に行ってマスコミ対策をちゃんとするんですよね。そういうこと俺、なんもやらなかったんです。ただスポニチはずっと読んでいたし、野球好きだからなんとかなるだろうと思って受けたら、筆記試験にラグビーやサッカーの問題も出てくる。
野球は満点だったと思うんですよ。でもゴルフとか全然分かんなくて一次で落ちました。まぁ、対策もしてないし、そりゃそうだよな、ですよ。

でも俺、本当は編集者になりたかったんですよね。全部ダメでした。文春なんてエントリーシートすら通らない。小学館では資料配布の長い行列を見て心折れて、神保町で餃子とビール飲って帰ってきました。そんなもんなんですよ。
高校時代に『野郎時代』を書いていたときのような承認欲求は現実の前にいつしか収束していて、編プロやフリーライターを志す勇気もない。『俺はなんとしてでも文章で世に出るんだ』なんて野心は微塵もなくなっていました」