いつもの居酒屋で友人からアドバイス「おまえはツイッターをやれ」――しがない野球好きのサラリーマンは“野球考古学者”キタトシオとして生を受けた

「感性が死んでいたのだと思います」

キタ氏の蔵書

トシオはサラリーマンになった。

朝9時に出社して夜22時まで週5日。仕事はとんでもなくキツかった。

日々をやり過ごすだけで精一杯。「俺はこのままでいいのだろうか」ともたげてくる煩悩は日々の晩酌と共に泡沫に消え、「25歳で転職しよう」なんて淡い決意もいつしか忘れてしまう。

蓄積された野球の知識は、仕事帰りの居酒屋やたまに行く野球場で同僚に披露する程度。30歳。40歳。気付けば勤続15年。役職も付いて部下もできた。

「ここから這い出してやる」
「こんなところで終わってたまるか」

書物の中にいるプロ野球選手たちは並々ならぬ決意と努力で現状を打破してきた。

しかし、そんな劇的な物語は現実の世界には起こらない。そのことを身に染みて感じていたトシオは今日も焼酎を煽って眠るだけ。

「感性が死んでいたのだと思います。仕事は厳しくて毎晩夜遅くまで働いて、毎日毎日同じことの繰り返し。気が付けば40歳も近くなって、もう一生このままなんだろうなと半分以上絶望していて。
たまの楽しみは野球大好きな高校の友人と野球居酒屋に行って、昔の雑誌とかに載っていた加工される前のゴツゴツした野球情報。

たとえば『ロッテの井辺康二が東海大時に書いた卒論は田山花袋論』とか『のちにスーパーカートリオとなる中央大学の高木豊はカーマニアでもあったが大洋1年目は車を封印した』なんて話をしては、悦に入っていたんですよ。
俺はそいつに喋るだけで満足な人生だった。でも、友人はそうじゃなかったんですよね」

その友人は高校時代、共に『野郎時代』を編纂した仲間であり、卒業後は専門分野のライターになっていた。

彼から見ても、キタが話す野球ネタの知識量と切り取りの角度、表現力なども含め、このまま何もせず朽ち果ててしまうには余りにも惜しい人材だと感じていた。