笑福亭鶴光が“松本明子4文字事件”の舞台裏をすべて明かす「あの子は出身が…」

笑福亭鶴光 (C)週刊実話Web
1970年代半ば、ラジオでの下ネタトークで中高生の心をわしづかみにした落語家・笑福亭鶴光。コンプライアンスが厳しくなったこのご時世に、何を思うのか。

──師匠は本誌(週刊実話)初登場だそうですね。

笑福亭鶴光(以下、鶴光)「この間まで『アサヒ芸能』で連載やらしてもろてたんやけど、終わってしまったからね」
笑福亭鶴光 (C)週刊実話Web
──コンプライアンス強化の一環だったりして…。 

鶴光「僕はあんまり気にしないけどね。笑いの根本ってね、例えば金持ちと貧乏な人の掛け合いで、貧しい人が金持ちをやっつけることで笑いが生まれるんです。
泥棒とお巡りさんとか、医者と患者とか。極端に言えば美人と不美人。この対照が笑いを生む。落語もそう。あれは権力に対する抵抗なんです」 

──最近の言葉狩りは、やり過ぎなところもありますよね。 

鶴光「ほんなら全部AIにやらせたらどないやと。落語もラジオのDJも。全然面白くないよ。血と汗と涙が混じってないからね。ただね、それを聞いて不愉快に思う人がおったらダメですね。
下ネタも不愉快に思う人がおるんやったら、僕はやめます。あ、100人中1人っちゅうのは別やで。鶴光から下ネタを奪うのは、自民党にちゃんとした政治を求めるようなもんです(笑)」 

「大阪は笑わす」「東京は聴かせる」 

笑福亭鶴光 (C)週刊実話Web
──さすが(笑)! 落語家になられたのが1967年。高校を卒業して六代目笑福亭松鶴師匠に入門されたんですよね。

鶴光「高校1年のときに『素人名人会』(毎日放送)に出て、落語で名人賞を2回取ったんですよ。賞金1万円と副賞にズボンの仕立券をもらって、こりゃもうかると。本職になったら、こんな恐ろしいほど貧乏するんかと驚きましたが(笑)」

──翌68年が初舞台。

鶴光「噺家が少なかったから、とにかく出せっちゅうことで、出たとこが新世界(大阪市浪速区の繁華街)の新花月(88年閉館)。悪いけど、最悪な寄席なんですよ。漫才か音楽目当てのお客さんばっかりで、みんな酒飲んで来よるからね。
しかも、1日3回公演の3回ともずーっとおる。だーれも聞いてくれへん。『やめやめぇ!』とヤジも飛ぶ。プロの道とはこんなに厳しいもんかと思ったね。その点、東京は幸せやわ。すぐ警備員に引きずり出されます(笑)。ちゃんと伝統芸能として出来上がってるんですよ。大阪は笑わす、東京は聴かせる、この違いですわ」