笑福亭鶴光が“松本明子4文字事件”の舞台裏をすべて明かす「あの子は出身が…」


笑福亭鶴光 (C)週刊実話Web
──70年代にラジオに進出されたのは? 

鶴光「あの頃、レポーターの仕事が噺家にどんどん来たんですよ。最初は外回りが多かったですが、『ヤングタウン』(MBS)からDJの仕事も増えて。
やっぱりラジオも落語と同じで、想像の世界やからね。いかに描写するかということと、細かい話術もいるわけです。それは落語やっていくと培われていくものですが」 

──大阪でレギュラー10本。そこから伝説の『鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)へ。 

鶴光「(土曜深夜レギュラーだった)あのねのねが、地方公演で休む3カ月間限定の放送やったんです。最初、それを知らされてなくてね。余命宣告やないねんから。
たった3カ月でも大阪から来て、こんな無茶苦茶するヤツがおったと歴史に残したろと居直ったのがよかった。コッテコテの大阪弁でね。大阪弁でも『鶴光でおま』なんて言わへんよ」 

──その後、水曜深夜枠のレギュラーを獲得して、その年に土曜深夜枠に返り咲いてますね。そこから11年9カ月の長寿番組に。 

鶴光「物ごとにはボーダーラインがあるでしょ。そのギリギリのグレーゾーンを攻めて、ボウフラみたいにたまにちょっと顔を出す。
だから放送が終わったら『あんなこと放送で言ってもええのんか』と、クレームの電話がバンバン。物ごとは裏表やからね。反発があれば支援者もおる。なんの反応もない『いい番組』なんて絶対成功せえへん」 

艶笑落語をラジオでやった 

笑福亭鶴光 (C)週刊実話Web
──その「グレーゾーン」を攻めるのが下ネタだったんですね。

鶴光「艶笑落語をラジオでやったんです。『ミッドナイトストーリー』言うて。最初は大学生対象やったのが、不思議なもんで高校生が聴き出すんですよ。そうなると今度は中学生、はたまた小学生が布団をかぶってこっそり聴き出すという。
聴かなかったら、月曜日の話題に付いていけないんやと。そらそうや、占拠率90%いったんやから。しかも『セイ!ヤング』(文化放送)や『パックインミュージック』(TBSラジオ)が裏番組にあってやからね」

──人気コーナーの「この歌はこんな風に聞こえる」は、真剣に聴いてました。

鶴光「『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)の『空耳アワー』に受け継がれていったね。あれはリスナーが作ってくれたんですよ。最初はね、大橋純子の『シルエット・ロマンス』。『♪鏡に向かってアイペンシルの~』が『鏡に向かって排便するの』に聞こえると(笑)」