笑福亭鶴光が“松本明子4文字事件”の舞台裏をすべて明かす「あの子は出身が…」


笑福亭鶴光 (C)週刊実話Web
──上方落語協会に籍を置いたまま、40歳で落語芸術協会(東京の落語家・講談師などが所属)に入られたのは? 

鶴光「うちの師匠の願望がね、東西の壁をぶち破れということで、その遺志を継いでね。最初に上方の言葉が分からんちゅう問題があった。そこで『返し』やね。
例えば、大阪では“おうこ”という言葉がある。『そこの“おうこ”取ってんか』『あ、天秤棒でんな』。この返しで意味が分かるでしょ。そうやって少しずつ。そもそも滑稽話は、元は上方発祥が多いんですよ」 

噺家同士の「東西の交流」 

笑福亭鶴光 (C)週刊実話Web
──日本で唯一の肩書もお持ちだとか。

鶴光 「大阪では真打制度がないから、東京やと二ツ目扱いや。でも、弟子が真打になったときに“上方真打”という別枠を作ってもらってね。僕だけですよ、日本で“上方真打”っちゅうのは。
弟子は8人おるけど全員、上方落語。東西の交流も始まってて、噺家同士がお互いに東西の寄席に呼び合ってます。関西やと天満天神繁昌亭(上方落語の定席の一つ)や神戸新開地・喜楽館の寄席。新宿末廣亭は『上方落語枠』を作ってくれた。
そうなったのがここ10年の話で。これからもっと交流が増えていくと思います。全国どこでも上方落語が聴かれるようになるのが僕の夢やね」

取材・文/左文字右京、企画・撮影/丸山剛史

「週刊実話」10月17日号より

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笑福亭鶴光(しょうふくてい・つるこ)

1948年1月18日生まれ。大阪府出身。高校卒業後の1967年に笑福亭松鶴に入門。メディア出演に積極的で、1974年から始まったラジオ『鶴光のオールナイトニッポン』では下ネタトークで人気を集める。現在は落語を中心に活動。