「ユー、今日、合宿所においで」…ジャニーズ性加害問題の第一人者が明かす“ジャニーズ崩壊”の真実

『ジャニーズ崩壊の真実 命を懸けた35年の足跡』日本ジャーナル出版
日本の芸能界のみならず、世界を揺るがせた旧ジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏による性加害問題。

2023年3月にイギリスのBBCが『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』と題したドキュメンタリーを放送したことから大きな騒動に発展したが、そもそも同事務所の設立から間もない1965年には、第1号タレントの初代ジャニーズに対する性加害が取り沙汰されていた。

そんなジャニー氏の性加害問題について、さまざまな形で告発を続けてきた「ジャニーズ性加害問題当事者の会」元代表・平本淳也氏にスポットを当てた『ジャニーズ崩壊の真実 命を懸けた35年の足跡』(小社刊=本体1700円+消費税)が、9月13日に発売される。

35年以上にわたる旧ジャニーズ事務所と平本氏との関係を詳細に記し、ルポ形式でメディアが触れていない事件の真実を明かす。

※以下、第1章「ジャニーズの実態」から最初の部分を抜粋

青春ドラマに憧れてジャニーズへ

1966年、神奈川県厚木市に生まれた平本淳也は、幼い頃から郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎のいわゆる“新御三家”や、ジュリーこと沢田研二を見て芸能界への憧れを抱くようになった。

両親は不仲で夫婦げんかが絶えなかったが、育児放棄というようなことはなく、父母それぞれからは十分に愛情を注がれていたという。

小学4年の10歳のときにTBSの番組オーディションに参加して、児童劇団にも籍を置いた。

「この当時のテレビ局は、今と比べてセキュリティーがすごく甘かった。僕が子供だったこともあるだろうけど、入館ゲートのところで守衛さんに『おはようございます!』と元気にあいさつすれば、出演予定なんかなくてもNHKから民放キー局まで、どこでも簡単に入ることができた」

そうして学校が休みの日などには、テレビの世界を知りたいという好奇心から、あちこち局内を見て回っていたという。

35年にわたり告発を続けてきた平本淳也氏
学校やテレビ局へ通うだけでなく、平本は新聞配達をしていた勤労少年でもあった。

そして、家庭では『ゆうひが丘の総理大臣』(日本テレビ系/1978年~)や『3年B組金八先生』(TBS系/1979年~)などの青春ドラマに憧れて、「いつか自分も出演してみたい」と熱心に視聴していた。

そうするうち出演者の中に、ジャニーズ事務所に所属するタレントが多くいることに気づく。

平本は1960年代に創業された同事務所が、『金八先生』に出演していた田原俊彦、近藤真彦、野村義男たちだけでなく、初代ジャニーズ、フォーリーブス、郷ひろみ、井上純一、川崎麻世など、これまでにも主役級のトップスターを多く世に送り出していたことを知り、それまで事務所というものを意識してタレントを見たことはなかったが、「自分もここに入ればドラマに出られるのでは?」と思うようになった。

当時のジャニーズ事務所はタレント募集の広告を出していなかったが、アイドル雑誌の記事からヒントを得た平本は、既成の履歴書に数枚のスナップ写真を添えて、ジャニーズファミリークラブ(現在のFAMILYCLUB=事務所全体のファンクラブ)へ郵送した。

平本が中学2年になる直前、1980年の春のことだった。