「ユー、今日、合宿所においで」…ジャニーズ性加害問題の第一人者が明かす“ジャニーズ崩壊”の真実

「ユー、今日、合宿所においで」

レッスン場は、テレビ朝日(旧社屋)の敷地内にある鉄骨の3階建ての建物にあり、毎週日曜、主に2階と3階を使ってレッスンが行われていた。

ジャニーは平本の姿を見つけると同時に、「ユーは今日からジャニーズのタレントだよ」と優しく話しかけてきたという。

そうしてレッスン場に通うようになると、レッスン後にジャニーは平本を膝の上に乗せながら「頑張っているね」などと優しく語りかけ、たびたび小遣いもくれた。

同期たちと比べて、平本にはテレビ出演の機会も多く与えられ、ジャニーズ事務所と関係の深かったTBS系の『たのきん全力投球!』(1980年~)や『ピンキーパンチ大逆転』(1982年~)、テレビ東京系の『ヤンヤン歌うスタジオ』(1977年~)、『ザ・ヤングベストテン』(1981年~)、『レッツGOアイドル』(1982年~)などが活躍の場だった。

当時、民放各局でよく放送されていた『オールスター水泳大会』や『オールスター野球大会』のようなイベント番組にも、ジャニーの「ユー、出なよ」という一声で出場していた。

だが、当初から望んでいた学園ドラマについては、ジャニーに付き添われて面接やオーディションを受けたものの、こちらはいくつかの端役しかもらえなかった。

17歳になってようやく東宝のオーディションに合格し、少年隊主演の映画『あいつとララバイ』(1983年)で、きちんとセリフのある役を与えられた。

田原俊彦や近藤真彦などのバックダンサーを務める4人組ユニット「ジャPAニーズ・ジュニア」の一員に選ばれたのも、この頃のことだった。