「食べ物を他の物に例えるのは御法度やと思ってた」食レポのパイオニア・彦摩呂が名セリフ誕生秘話を明かす

最初のロケは駄菓子屋横丁 

彦摩呂 (C)週刊実話Web
――デビューはアイドルグループ『幕末塾』ですよね。

彦摩呂「お笑い大手・太田プロダクションが初めてプロデュースしたアイドルグループで、元々は原宿でアルバイトをしてたときに仲間と作ったユニットです。デビューは『TM NETWORK』のカバー曲で、他に秋元康さんに詞を書いてもらったり。だから、小室ファミリーで秋元ファミリーでもあるという。ちょっと時代が早かったんかな…いや、遅かったんか(笑)」

――ピンでは俳優としてドラマや映画などで活躍されてましたが、どうしてグルメレポーターに?

彦摩呂「仕事は順調だったんですが、27歳の頃に情報番組のレポーターになりたいって言い出したんです。周りは『えーっ!?』ですよ」

――どうしてまた?

彦摩呂「子供の頃から人が好きで、友達の家に遊びに行って、友達が留守でも家族に遊んでもらってるような、どこでもなじむ子供やったんですよ。そういう性格もあって、人との出会いがあるような、用意されたセリフじゃなくてパッと思ったことを自分の言葉で伝えられる、そんな仕事がしたかったんです。
お試しで使ってくれたテレビ番組が『山田邦子の旅くらぶ』(1990~1991年/日本テレビ系)で、最初のロケは日暮里の駄菓子屋横丁でした。チョコパイを袋から出して、カメラの前で手で割って『見て~クリームがこ~んな』。最初から上手やったんですよ(笑)。いろんなロケに行きましたが、いつの間にか『グルメと言えば彦ちゃん』と言われるようになって」
彦摩呂 (C)週刊実話Web