大原麗子さんと父親の確執「絶対に離婚はしませんから」渡瀬恒彦さんとの結婚時に宣言も…【週刊実話お宝記事発掘 昭和56年12月24・31日合併号掲載】

大原麗子さん (C)週刊実話Web
日本を代表する大女優でありながら、晩年は難病と戦い、孤独死した大原麗子さん(享年62)。渡瀬恒彦さん(享年72)と離婚し、森進一(76)と再婚した頃、『週刊実話』の記者が実家を直撃。大原さんの実父から貴重な再婚の裏話を聞き出していた。
【昭和56年12月24・31日合併号掲載『芸能界父娘戦争 天国と地獄』年齢・肩書等は当時のまま(一部表現を訂正した箇所があります)】

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大原麗子の実家は、東京・文京区で和菓子店を営む。その店頭で父親と会い、麗子のことを聞く。

森進一と結婚しても人気は落ちるどころか逆に上がり、稼ぎもアップしている反応を探るためだった。

笑顔で返事してくれるもの、と思っていた。ところが逆で、途端にきつい表情に変わった。言葉も滞りがちとなる。

「それが原因で離婚するようにならなければいいがと…。恒ちゃんと離婚したのも、あれこれ原因を言われているが、煎じ詰めれば、その一点に落ち着きますからね。あのときには『一体、子供をどう教育したのか』などと陰口を叩かれたが、二度目となれば、さらにひどいことを言われるのは必至だろうしね」

大原の父親が口にした「それ」が何を意味するかは後述するが、「恒ちゃん」とは、渡瀬恒彦のことだ。

麗子が渡瀬と離婚したのは昭和53年2月で、実質6年間の結婚生活にピリオドを打った。

ふたりの結婚には、それぞれの父親が強く反対した。だが、麗子の父親がまず折れた。

理由は、麗子が渡瀬を連れて来て、手をついて「絶対に離婚はしませんから」と約束したために他ならない。

事実、麗子はそのつもりで、引退も本気で考えていた。

ところが、渡瀬の父親はなかなか妥協せず、麗子の父親の説得もあって、やっと許可したはいいが、間もなく他界してしまった。

おかげで入籍が予定より1年半以上もずれる結果となったのだ。