大原麗子さんと父親の確執「絶対に離婚はしませんから」渡瀬恒彦さんとの結婚時に宣言も…【週刊実話お宝記事発掘 昭和56年12月24・31日合併号掲載】

渡瀬は「子供を生んでほしい」と懇願

渡瀬の仕事は「東映京都撮影所」が多く、家をあけることが多かった。

麗子もますます多忙になり、同居している渡瀬の母親が不満をもらすようになった。

さらに、渡瀬と范文雀のスキャンダルが発覚し、一方の麗子も森との愛を急進展させていた。

ふたりの仲をさく“最後の切り札”になったのは、渡瀬が麗子に懇願した一言だったという。

「子供を生んでほしい」

のちに麗子も、「子供を生むか、仕事をとるか、どちらかにしてくれ」と二者択一を迫られた事実を認めている。

麗子はなんと返事したか。

「子供は当分、作るつもりはありません。仕事を捨てる気になれないんです」

かくて離婚となったのだ。

冒頭で麗子の父親が言っていた「それ」というのは、このことだ。

父親の怒りは収まらない。

「実は、私も離婚については人から聞かされ、知ったんですよ。その人は『恒ちゃんの浮気が原因じゃないか』と言っていたけど、でも、そんなことはよくあることだし、麗子が辛抱すればいいんです。最初、私はふたりの結婚に反対したんです。芸能人はすぐにくっついたり離れたりしますからね。なのに結婚させることにしたのは、麗子がそういうことに絶対にならないようにすると約束したためなんです。それが別れるときには相談らしい相談も一切ない! もう娘とも思いたくないですよ」