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藤子不二雄Aさん逝去…『ドラえもん』の作者を巡って漫画ファン論争

『ドラえもん』1巻(藤子・F・不二雄/小学館)
『ドラえもん』1巻(藤子・F・不二雄/小学館)

日本を代表する漫画家・藤子不二雄A氏=安孫子素雄さんが4月7日午前、川崎市内の自宅で亡くなったことが分かった。

安孫子さんは1934年(昭和9年)生まれ。藤子・F・不二雄氏とコンビを組み、〝藤子不二雄〟の共同ペンネームで『オバケのQ太郎』などヒット作を次々と世に送り出した。

この訃報に、漫画ファンからは、

《悲し過ぎる。日本漫画界の生ける証人だったのに…。合掌》

《藤子不二雄は偉大なお2人が1つのブランドを作った最強のユニットでした。ご冥福をお祈りします》

《また1人、偉大な作品を生み出してくれた漫画家さんが逝ってしまいました。たくさんの面白い作品を楽しませてくれてありがとうございました》

などと、多くの追悼が寄せられている。

共同ペンネーム・藤子不二雄の“役割”とは…

そんな中、ネット上で、藤子不二雄A氏が『ドラえもん』の作者なのか否かという論争が盛り上がっており、

《A先生はドラえもんの作者じゃないという声があるけど、間違いだとも言えないぞ。初期のころは2人で描いていたようだし》

《ドラえもん誕生時は「藤子不二雄」名義だったので、間違いとも言えない。多少は関係してたんじゃないかな》

《A先生がドラえもんの作者じゃないって声があるけど藤子不二雄名義の作品だからな。コンビ別れしたときに引き継いだのがF先生であって》

《名義は藤子不二雄ですが、描いたのはFさん1人ですよ。ドラえもんを産んだころにはすでに共作をやめてましたが、Aさんのためを思って収入を折半し続けた…という感動エピソードもありますから》

《A先生はドラえもんの作者じゃないってブチ切れてる人いるけど、A先生もかなり原稿手伝ってるんじゃなかった?》

などと議論になっているようだ。

「今や世界中で大人気のドラえもんですが、作者は藤子・F・不二雄さんですね。FさんとAさんは別々に作品を描きながら共同ペンネーム・藤子不二雄を使用していたため、Aさんもドラえもんの作者と勘違いしている人も多いようです。もっとも連載初期のころは藤子不二雄名義を使用していたこともあり、Aさんも実際には手伝っていたようです」(雑誌編集者)

いずれにせよ、藤子不二雄A氏は、『笑ゥせぇるすまん』や『忍者ハットリくん』『プロゴルファー猿』『まんが道』『怪物くん』など、数々のヒット作を生み出した偉大な漫画家である。天国で、26年前に亡くなった藤子・F・不二雄氏と、うれしい再会を果たしていることを願いたい。合掌。

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