岡田有希子さん (C)週刊実話Web
岡田有希子さん (C)週刊実話Web

岡田有希子さんや本田美奈子.さんが通った堀越学園「芸能コースD組」の呪い〜昭和・平成「芸能暗黒史」その7

2010年11月15日未明、松平健の妻で女優の松本友里さん(享年42)が、目黒区の自宅で首吊り自殺しているのが発見された。


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夫である松平は舞台公演のため地方に滞在中で、すぐに葬儀を営むことができず、遺体は「エンバーミング処置」が施され、12月3日の告別式まで保存されるという異例の対応が取られた。


「松平は1990年に大地真央と結婚したが、04年に離婚。翌年に松本さんと再婚し、長男を授かっていた。松本さんは、約3年間にわたってパニック障害や不眠症、うつ病の治療を続けながら実母の介護や育児をこなしていたとされ、その最愛の母親を亡くしたばかりでした」(芸能記者)


松本さんは、新国劇出身の父と宝塚出身の母を持つサラブレッド。自身も早くから芸能界入りを志し、「花の84年組」と呼ばれたアイドル豊作期にデビューを果たした一人だった。実は彼女には、先に不慮の死を遂げた人気アイドルとの〝ある共通項〟が存在していたのである。


86年4月8日の午後12時すぎ、東京・四谷にあるサンミュージックの本社(当時)が置かれていたビルの屋上から投身自殺を遂げた岡田有希子(享年18)さんのことだ。


「この頃の岡田さんは、人気絶頂にありながら、しばしば精神面の不調を訴えており、投身自殺の前日にも自宅でリストカットとガスによる自殺をはかっていた。それが失敗して病院へ搬送されたが、わざわざ病院を抜け出して所属事務所に向かい、白昼堂々、飛び降りてしまったのです」(同・記者)


岡田さんの自殺については、「年上俳優との痴情のもつれ」など諸説あるものの、死後35年が経過した現在でも確証の得られる原因は見出されていない。

死を免れてもスキャンダルで…

そんな岡田さんと松本さんの〝ある共通項〟とは、同じ年度に堀越学園(東京)の『芸能コースD組』に在籍していたという事実である。

「堀越学園の芸能コースといえば、80年代のアイドルブーム全盛期はもちろんのこと、現在に至るまで、多くの人気タレントたちが籍を置くことで知られています。しかし、岡田さんや松本さんがいた当時の『D組』在籍者の多くが〝なんらかの災難〟に見舞われているのです」(スポーツ紙・芸能デスク)


早世した同級生の中には、38歳で急死した本田美奈子.さんや、彼女の隣でアルバムに収まっていた菊池陽子さん(享年32)などもいる。2人とも、病名は「白血病」だった。


「27人しかいなかったクラスメートのうち、隣同士の写真が残っている本田さんと菊池さんの2人が30代という若さで同じ病いに倒れ、岡田さんと松本さんは堀越時代の大親友だったという事実から、〝呪われたD組〟と呼ばれています」(同・デスク)


悲劇はこれだけではない。テレビ朝日系の人気バラエティー番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』でブレイクし、番組発のアイドルグループ「わらべ」の人気メンバーだった高部知子さんは、〝ニャンニャン写真騒動〟で轟沈。ヌードなどで再起をはかったが、引退に追い込まれている。


また、ホリプロのスカウトキャラバンでグランプリを獲得した田中久美さんも、鳴り物入りでデビューした直後に不可解な失速。事実上、引退となってしまった。


彼女たちを尻目に人気アイドルとして活躍を続けた南野陽子も、カールスモーキー石井との交際が取り沙汰されるや一気に凋落。映画でオールヌードの濡れ場を披露したものの、かつての輝きを取り戻すことはなく、結婚した夫のスキャンダルが度々、報じられている。


「同様に、第11代クラリオンガールとなり、映画やドラマで活躍した宮崎ますみも、いちばん脂の乗った時期になぜか人気が急落。ヌードまで一直線というルートをたどった」(同・デスク)


俳優の永瀬正敏は、雑誌対談で知り合った小泉今日子と電撃結婚するも9年後に離婚。それ以降、ほとんど画面で見ることはなくなった。


もちろん、演歌歌手に転身して成功を収めた長山洋子や、海外でセレブな結婚生活を送っている倉沢淳美のような〝例外〟もある。


「石野陽子もD組でした。彼女は長年、志村けんさんとの結婚を望んでいたとされていますが、ついに叶うことはなかった。現在は事実婚状態のパートーナーの存在が報じられていますが、志村さんはコロナで命を落とした」(同・デスク)


都市伝説的には、これも〝D組の呪い〟と呼べるのかもしれない。


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