松田聖子 (C)週刊実話Web
松田聖子 (C)週刊実話Web

松田聖子が郷ひろみから神田正輝に乗り換えた“本当の理由”〜昭和・平成「芸能暗黒史」その1

2021年12月18日、凍てつく札幌のホテルの高層階から転落死した神田沙也加さん。35年前に彼女を産んだのは、昭和を代表するトップアイドル・松田聖子だ。〝伝説のアイドル〟と呼ばれた山口百恵が引退した1980年に入れ替わるようにデビューし、「聖子ちゃんカット」が女性の間で大流行するなど、まさに時代のアイコンとなった一人である。


【関連】神田沙也加さん過去にも自殺未遂? 母・松田聖子が交際相手の実家に乗り込んだ修羅場も… ほか

そんな聖子が、愛くるしいルックスとは裏腹に〝魔性の女〟として世間に認知されたのは、歌手・郷ひろみとの破局、それから間もなく人気俳優・神田正輝と婚約してからのことだ。


「デビュー2年目の81年あたりから、郷との交際は知られていました。しかし、一部で『結婚間近』と報じられていた85年の1月、突如として会見を開いた聖子は、郷との破局を告白。『もし、今度生まれ変わった時には絶対一緒になろうねって』という名言を残しました」(芸能記者)


ところが、舌の根も乾かぬ1カ月後には神田との交際が発覚。さらに、その2カ月後には、神田との正式な婚約を発表したのである。


「この件に関して、郷は会見することさえ知らなかったと語り、『僕が生まれ変わって虫だったら、どうする気だろう?』とのコメントを残しています」(同・記者)


では、なぜ聖子は郷から神田に乗り換えたのか。公式の説明としては、郷は結婚後、聖子が家庭に入ることを望んだのに対して、彼女はアイドルをやめない意向であったため、両者の間に溝ができたとされている。

石原裕次郎の愛人説まで

しかし、この説明には疑問が残る。結果として復帰したものの、聖子は神田との結婚の際、芸能界を引退すると表明していたからである。

こうした謎めいた経緯から、神田はあくまで〝表面上の夫〟であり、ファンの間では「聖子は石原軍団のボス・石原裕次郎の愛人だった」とするとんでもない噂まで、ささやかれたほどだ。


「この噂は、あまりにも無理があります。裕次郎が肝臓がんを患っていたことや、解離性大動脈瘤の手術をしていたという状況を考えると、とても若い聖子と付き合うほどの体力は残されていなかったはずですから」(同・記者)


郷との破局理由として信憑性があるのは、両者の間に生じた〝格差〟だ。70年代には、西城秀樹や野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれるトップアイドルだった郷だが、80年代になると人気に陰りが出始め、「落ち目」と見られることも少なくなかった。


それに対し、当時の聖子はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、大ヒットを連発し、トップアイドルへの階段を駆け上がっている真っ最中だったのだ。


「元来、郷のファンであり、同じレコード会社に所属していたという接点を活かして交際にこぎつけた聖子だったが、自身の立場を鑑みて、このまま郷と付き合ってもメリットがないと考えたのでしょう」(同・記者)


そんな状況下、映画『カリブ・愛のシンフォニー』(85年公開)で神田と共演。メキシコでロケを共にした上、聖子が体調を崩した際には献身的に看病をしてくれたという神田に心が移ったとしても不思議ではない。


結局、神田とも97年に離婚した聖子は、翌年の98年には6歳年下の歯科医と再婚するも2000年に離婚。2012年には、やはり歯科医である現在の夫と3度目となる結婚を果たしている。


この間、ニューヨークで英会話の個人レッスンを受けていた年下の米国人男性に交際を暴露されたり、米国人バックダンサーにも手を出し、ビートたけしの付き人だった整体師に入れ込み、自身のマネジャーとして囲い込むなど、奔放な男関係がたびたび報じられている。


「そのくせ、亡くなった沙也加さんには『格下の男と付き合うな』と干渉し続け、親子関係の破たんを招きました」(同・記者)


自分は手当たり次第に男と遊び、娘である沙也加さんには「理想の相手」との交際を求め続けた聖子。それが原因とまでは言えないが、沙也加さんの心に、なんらかの影響を与えた可能性は否定できない。


その2を読む