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倉田まり子さんが堕ちた「投資ジャーナル事件」の深い闇〜昭和・平成「芸能暗黒史」その8

倉田まり子さん
倉田まり子さん (C)週刊実話Web

スキャンダルによって人生を狂わされたアイドルは数多く存在するが、倉田まり子さんのケースは、あらゆる意味で異質だ。

長崎県出身の倉田さんは、地元で行われた視聴者参加型の歌謡番組に出場した際、スカウトマンに実力を認められ、高校1年生で上京。1979年に『グラジュエイション』でデビューすると、日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、順調なアイドル人生をスタートさせた。

「サードシングル『HOW! ワンダフル』が江崎グリコの人気商品ポッキーのCMソングに起用されて大ヒット。人気を不動のものにすると、歌手以外にも、テレビドラマへの出演や声優などの活動をマルチに行い、人気アイドルの一人に数えられていました」(芸能記者)

しかし、80年代に入ると、倉田は松田聖子や河合奈保子といった新世代アイドルに押されて落ち目に。そこへ降ってわいたのが、85年の「投資ジャーナル事件」だった。

“疑惑”のツーショット写真

この「投資ジャーナル事件」とは、証券関連雑誌を発行していた投資ジャーナル社、およびその会長の中江滋樹が行った巨額の詐欺事件である。

「中江は、雑誌上で利用者から金を徴収して銘柄を紹介。保証金を追加すれば預り金の10倍以上の融資を受けられるとしていながら、実際は〝預かり証〟を渡すだけで株式の引き渡しは行わず、数百億円を詐取したとされています」(事件ライター)

事件の中で取り沙汰されたのが、中江と倉田さんの関係だった。写真週刊誌『FRIDAY』が、中江に肩を抱かれている倉田さんとのツーショット写真を掲載したのである。

「タイミング悪く、この時期に倉田さんが目黒区に7000万円ともいわれる3階建ての豪邸を建築していたんです。このことが判明すると、マスコミは倉田さんが中江の愛人で、詐取された金がこの豪邸に流れているのではないかと追及し始めた」(前出・芸能記者)

当然、倉田さんは完全否定したものの、中江が自社のOLを「100万円でどうだ!」と口説いた逸話などもスクープされ、さも中江と倉田さんの関係は既成事実であるかのように報じられたのだ。これによって倉田さんは、芸能界引退を余儀なくされた。

「最終的には、税務署の調査によって、倉田さんが豪邸の資金を借金で賄ったことを証明する借用書が見つかり、この愛人疑惑は解消されましたが、時すでに遅し。一度ついた悪いイメージを回復することはできず、豪邸も税務署の差し押さえで失うはめになった」(前出・事件ライター)

もともと、この中江と倉田さんの接近は、中江に出資させることで「事務所からの独立」を画策していた倉田さんのマネジャーが仕掛けたものだとされている。

「このため、独立を察知した芸能事務所からの〝制裁目的のリーク説〟や、独立計画が思うようにいかなかったマネジャーによる〝チクリ説〟などが囁かれました。後年、中江自身もこの疑惑について、『4~5回デートしただけで肉体関係はなかった』と週刊誌の取材で告白していますからね」(前出・芸能記者)

芸能界引退後、倉田さんは法律事務所の秘書や資格試験予備校の執行役員などを務め、「キャリア・カウンセラー」として独立。2015年には東京学芸大学の特命教授に就任するなど、堅実な人生を歩んでいる。

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