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紅白歌手・克美しげるが愛人を殺害!車に遺体を隠して新曲キャンペーン〜昭和・平成「芸能暗黒史」その9

(画像)FRIsky photo / shutterstock

2年連続でNHK紅白歌合戦に出場した歌手が、ソープランドで働いてまで貢いでくれた愛人を殺害するという信じ難い事件が1976年5月に起こった。

この前代未聞の事件を引き起こしたのは、50年代に始まったロカビリー・ブームを追い風に、洋楽の日本語カバーで人気を博した克美しげるだ。克美は、テレビアニメ『エイトマン』(63年)の主題歌や『さすらい』(64年)などのヒット曲に恵まれ、2年連続で紅白に出場していた人気絶頂の頃に愛人女性と知り合った。

「愛人女性は銀座のクラブホステスでした。当時の克美は既婚者でしたが、熱狂的なファンだった女性に『妻とは別れた』と偽って二重生活を始め、金ヅルにしていたんです。克美が歌手として低迷し始めると、ソープで働いてカネを工面していたそうです」(芸能記者)

村西とおるの作品にも出演

その後もヒット曲に恵まれず、75年には低迷から脱却すべく芸名も「克美茂」に改め、再デビューを果たした。再びスポットライトが当たる兆しが見えると、ただれたプライベートがスキャンダルとして報じられることを恐れ、愛人女性との関係を清算するために、彼女を殺害したのである。

「マンションで愛人を絞殺し、遺体を遺棄しようと考えたが、新曲キャンペーン中だったため時間がなく、車のトランクに遺体を入れたまま羽田空港の駐車場に車を置いて北海道へ旅立った。しかし、通報を受けた警察官によって遺体が発見され、克美はキャンペーン中の旭川で逮捕されました」(同・記者)

克美には、殺人罪で懲役10年の判決が言い渡された。出所後、音楽事務所を開いて再婚も果たすが、89年に覚せい剤取締法違反で再び逮捕されている。

「95年に32歳年下の夫人と4度目の結婚。当時、一世を風靡していた村西とおるの作品(ドラマ部分のみ)にも出演するなど話題を集めたが、その後は体調を崩し、心臓病、脳梗塞、顔面麻痺などに襲われます」(同・記者)

闘病の末、2013年2月に「脳出血」によって栃木県内の病院で死去していたことが明らかになっている。

事件後も歌手として再起を望み、病におかされながらも懸命に歌い続けたのは、熱狂的なファンだった亡き愛人への償いの意味があったのかもしれない。

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