おニャン子クラブ (C)週刊実話Web
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おニャン子クラブ「未成年喫煙写真」流出で消えたメンバーの末路〜昭和・平成「芸能暗黒史」その5

AKB48やモーニング娘。などに代表される美少女アイドルグループのルーツが、80年代に一世を風靡した「おニャン子クラブ」だ。


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彼女たちは、フジテレビ系で放送されていた夕方の帯バラエティー『夕やけニャンニャン』が生んだアイドルで、同番組は85年4月1日、コカコーラをメインスポンサーに放送開始された。


ところが、開始3週後の4月18日、番組の存続を脅かす驚愕のスキャンダルに見舞われる。


「同日発売の『週刊文春』のスクープでした。おニャン子クラブの数名が、フジテレビ近くの喫茶店で喫煙している写真を、グラビア見開きで大きく掲載したんです。同誌は、タレントとはいえ女子高生が喫煙するとは許しがたいとの厳しい論調で叩いていました。当時から〝文春砲〟はメガトン級の威力を誇っていたんですよ」(アイドルライター)


写真に写っていたのはO、Y、K、T、Sの5人。さらに、のちの〝事情聴取〟で素行不良が判明したEも謹慎を命じられ、うち5人が番組をクビになった。


「Kだけはクビにならずレコードデビューできたのは、彼女の父がフジテレビと取引関係にある企業の社長だったからという『都市伝説』まで流れました。ちなみに、エースと目されていたOは、クビになってから『プレイボーイ日本版』のプレイメイトジャパンで準ミスになり、同誌でおニャン子初となるヌードを披露。インタビュー記事では『みんなCまでいってるけど、そんなの当然じゃないの』と、おニャン子の性の乱れを暴露しました」(同・ライター)

スポンサー降板でH路線に

この喫煙事件によって、メインスポンサーのコカコーラが撤退し、番組は打ち切りの危機に直面する。しかし、スタッフは「スポンサー降板」を逆手にとり、女子高生の不良性やハレンチさを前面に出した野放しな内容に軌道修正。これが当時の若者にウケ、番組の視聴率は一気に上昇した。

「エッチをしたいけど~などの卑猥な歌詞で大ヒットしたテーマソング『セーラー服を脱がさないで』も、スポンサー降板後に作られています。ある意味、おニャン子人気は〝喫煙事件のスキャンダルが生み出した〟と言えるでしょう」(同・ライター)


その後、国生さゆりや工藤静香、渡辺美奈代など、現在も精力的に活動を続けるスターを多く生み出し、一大アイドルブランドとして名を馳せることとなったおニャン子だが、喫煙事件以外でも〝消えたメンバー〟がいる。


寺本容子は、その美少女ぶりから人気を集めたが、学業と芸能活動の両立が難しく、おニャン子の活動に専念するために学校を自主退学。ところが、この行動がおニャン子の「学業と芸能活動を両立する」という規定に違反したとして、脱退を余儀なくされたのだ。彼女はその後、モデルとして活動を続け、96年に結婚して芸能界を引退している。


また、グラビア雑誌『Momoco』(学研)から派生した「モモコクラブ」出身の赤坂芳恵と松本亜紀の2人も〝幻のメンバー〟として知られている。赤坂は、通っていた学校に報告せず無断で番組出演したため、在籍1週間でおニャン子を解雇され、学校からも退学させられた。松本に至っては、同じく学校に無断で出演したことが発覚し、合格当日に解雇され、学校も退学させられるという厳しい処分が下されたのだ。


女子高生にエッチな歌詞の曲を歌わせる一方、厳しい規則を課すダブルスタンダードで、おニャン子は時代の象徴となったのである。


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