【中日】常勝ホークスを築いた工藤公康新監督の「勝負師の流儀」… 3人の証言者が明かす情報戦・ビジネス感覚・育成システムの真実

根本陸夫氏から受け継いだ冷徹なプロ意識…「81番」を背負う金銭感覚と自負


2人目の証言者は、工藤の球歴を語る上で欠かせない人物・根本陸夫氏だ。西武やダイエーで球団の編成を担い、数々の大仕事を成し遂げた「球界の寝業師」。筆者にとっては法政大学野球部の先輩でもあり、生前の根本氏からは工藤の人となりについて何度も話を聞いたものだ。そもそも、工藤の西武入団は、根本マジックから始まっている。

「あいつは社会人野球(熊谷組)へ行くことが決まっていたが、俺が強引にドラフトで指名したんだ。順位は6位だったが、契約金はドラ1と同額の破格の条件で獲得した。ただ、まあヤンチャな坊主でなぁ、私生活から何から、ずいぶんと面倒を見たもんよ(笑)」

根本氏は目を細めながらそう振り返っていた。西武の黄金時代を築いた工藤の活躍があってこそ"成せる寝業"だろう。その後、根本氏は西武からダイエーの編成部門に移るが、工藤がFAとなり再び縁がつながった。

「FA時、工藤はダイエーを選んでくれた。『根本さんのところに行きたかった』と言ってくれてな。俺が編成をやっていたから助かったよ」

さらに言えば、2度目のFAで巨人へ移籍する前の話になるが、長嶋監督が工藤獲得を熱望していたそうで、根本氏は球団側に入る金や工藤本人の移籍に伴う契約金、年俸などを含め「総額36億円規模になる」と筆者に語ったことがあった。工藤は引退まで4球団を渡り歩くことになるが、そこには選手としてのプライドと同時に、根本氏から薫陶を受けた冷徹な視点があった。プロ野球がいかに「ビジネス」であり、己の腕一本でどれほどの「カネ」を生み出せるのかを骨の髄まで学び、プロとしての金銭感覚や、自身の価値に対する強烈な自負心を手に入れたのかもしれない。中日で根本氏の背番号「81」を背負うのも、その表れか。

DeNA高田繁GMが語った破談の真相…妥協なき「環境・育成」への強いこだわり


現役引退後の工藤は、'15年から7年間にわたって福岡ソフトバンクホークスを率い、5度の日本一を達成。ソフトバンクを常勝球団に育て上げた。ただ、実はソフトバンク監督に就任する前には、別球団からのアプローチがあったことはあまり知られていない。3人目の証言者は、元横浜DeNAベイスターズのゼネラルマネジャー・高田繁氏である。かつてDeNAが新監督を探していた際、GMの高田氏は真っ先に工藤獲得に動いている。最終的に交渉は決裂し、中畑清に白羽の矢が立つことになるのだが、その背景には、工藤の「監督就任への高すぎる要求」があったという。

高田氏は当時、「彼(工藤)を取れなかった詳しい理由は話せないが、とにかく要求条件が厳しかった」とだけ振り返った。筆者が調べたところ、その条件とは次のようなものだった。