「チャンスがあれば政治への道を」25歳の小池百合子が語っていた“権力への第一歩”【怪人/快人伝 第11回】

小池百合子(C)週刊実話WEB

永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が実際に会った傑物たちの知られざる素顔を初公開。今回は小池百合子(中)をお届けする。

人気キャスターの比例名簿2位に党内から不満

日本テレビ系の時事番組『竹村健一の世相講談』でアシスタントを務めた小池百合子は、容姿端麗、仕切りのうまさで人気はうなぎ上り、6年半にわたり同番組で活躍した。その後はテレビ東京系の経済ニュース番組『ワールドビジネスサテライト』に、日本初の女性経済キャスター(初代メインキャスター)として招聘されたのだった。

この番組でも小池は“行動派”で鳴らし、折からイラク軍のクウェート侵攻で、人質になった日本人の解放に貢献している。現地取材の一方でイラク側と人質の解放交渉を続け、これが湾岸戦争勃発前の人質解放につながったのである。こうしたことも手伝ってか、平成2(1990)年度には「日本女性放送者懇談会賞」を受賞している。

それから2年後の平成4年5月、参院選を前に熊本県知事を辞めた細川護熙が、『文藝春秋』誌上で「『自由社会連合』結党宣言」なる論文を発表し、日本新党の旗揚げを宣言した。同時に同党から人気キャスターの小池に、比例区での出馬要請が届いたのである。

かつて私が大阪・新阪急ホテルのロビーでインタビューした際、小池は「チャンスがあれば政治への道も模索してみたい」と答えていたが、当時25歳だった彼女の“夢”が、現実味を帯びてきた瞬間であった。

小池の参院選出馬には、とりわけ党代表の細川自身に強い意志があったとされた。小池の人気や知名度を新党の“起爆剤”にしたいという思いである。当時の参院選比例区は拘束名簿式で、細川は自らを1位に登載、小池を2位に置いた。

この「小池2位」には、それ以下の順位とされた政治家や著名人から、不満と不信が爆発。党内から「政治にシロウトの小池が2位とは、なぜだ。出馬はやめた」といった声が出る“一騒動”もあった。
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