「チャンスがあれば政治への道を」25歳の小池百合子が語っていた“権力への第一歩”【怪人/快人伝 第10回】

キャスター時代の小池百合子が開いたパーティーに駆けつけた左・竹村健一と右・沢田亜矢子(C)週刊実話WEB

若き日の才女が放った鮮烈な印象

そうしたなかで、小池はエジプトに行ったり来たりで、昭和51年12月、正式に帰国した。私が小池に初めて会ったのは、その翌年になる。小池はアラビア語の通訳として、働き始めたさなかだったのだ。

当時、私はフリーの週刊誌記者として、光文社『女性自身』誌のニュース班と契約していた。同誌は明敏な桜井秀勲編集長(現・きずな出版社長)が、イギリスのスリムな人気モデル、ツイッギーを使って大当たり、じつに120万部まで売り上げを伸ばしていた。

この頃、同誌のとりわけ事件などを扱うニュース班のライターには、すでに評論家として一家を成していた草柳大蔵ほか、芥川賞候補者、小説雑誌の新人賞受賞者など精鋭が揃っており、取材内容で他の一般週刊誌を凌駕することもしばしばであった。要するに、勢いのある週刊誌で、若かった私もその末席を汚す記者だったのである。

小池とは、大阪の新阪急ホテルのロビーで会ったのを覚えている。私は他の事件取材で大阪出張が決まっており、出発前に編集部の担当デスクから、1枚の日経新聞の切り抜きを渡された。さっと目を通すと、帰国直後の小池による短い手記で、エジプトでの日々が簡潔に記されていた。

デスクいわく「キミが大阪へ飛ぶと言ったら、桜井編集長からこれを渡され、『短い文章だが、興味を覚える子だ。1ページくらいで“人物紹介”の記事にしたいから、小林クンについでにインタビューしてもらっておいてくれ』と言われた。頼むよ」であった。

私の前に立った小池は背筋を真っすぐに伸ばし、ロビーのイスにすわるとじつにテキパキと答えた。とくに印象に残ったのは、まだ若いのに自分の将来について、明確な意志を持っていたことであった。

記憶を戻してみると、おおむね次のような答えが返ってきたものである。

「父親が政治との関わりがある事業家だったこともあり、チャンスがあれば私も政治への道を模索してみたいと思っています。