「政治の仕組みも、どの政党がどういう政党かもよく知らん」横井庄一が参院選に出馬した意外な顛末【怪人/快人伝 第9回】

美保子夫人が明かした夫の胸の内

美保子夫人が私のインタビューに対し、次のように語っていたことを改めて思い出すのである。

「横井は私との会話でも、しばしばアメリカへの反感を口にしていました。『あさま山荘や近鉄奈良線の爆破といった事件を見ていると、日本がアメリカのおかげで平和になっとるというのはウソだわな。日本がアメリカの属国化したからとも思うとる。マッカーサーの政策が影響しとるのと違うか』と、横井はよく嘆いていました」

「横井はしきりに、『できたら自分で仕立てる洋服屋をやれたらええな』と言っていました。横井の父親は洋服屋を経営していましたが、横井が生まれて半年で離婚、横井は母親のもとに引き取られた。その後、旧制小学校を卒業して、軍服をつくる洋品店に5年間奉公に出ています。洋服の仕立てを学んだことで、腕には相当の自信があるみたいでした」

その美保子夫人は、横井が亡くなってから約25年後の令和4(2022)年5月27日、脳出血のため京都市内の病院で亡くなった。94歳の長寿をまっとうした美保子夫人だが、彼女の死去をもって夫妻の名古屋の自宅にあった「横井庄一記念館」も、同年9月をもって閉館した。

ここにおいて、ようやく「横井庄一と戦争」にピリオドが打たれたとも言えたのだった。

横井が帰還後の一時期、とくに若い人の間で流行したギャグがあった。イスに腰掛けるとき、立ち上がるときによく発する「よっこいしょ」の声のあとに「ういち」を付け、「よっこいしょういち」と続けて腰を掛けたり、立ち上がったりしてふざけるのである。

ちょっぴりユーモリストの横顔もうかがえた横井だけにギャグも楽しめたが、その“置き土産”もいま使う人はまずいない。横井の帰還から50年以上が経ったことで、ここでも「戦後」が遠ざかったことが明らかにされたようである。

(本文中敬称略/次回は小池百合子・東京都知事)

「週刊実話」10月15日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。