「あんたのようにハッキリ言ってくれる人はいなかった」横井庄一が見合い当日に結婚を決めた理由【怪人/快人伝 第8回】

1972年10月6日、婚約を発表した横井庄一と美保子さん


食卓にも残ったジャングルの記憶

結婚生活は、ひとまず順風満帆のようであった。

横井は“時の人”で、新居でボンヤリしている日はほとんどなく、途切れぬ講演活動やテレビ出演などで、全国を駆け回っていた。美保子夫人は横井のスケジュール管理をしながら、現地に“カバン持ち”で同行、そしてすべての金銭管理など「耐乏生活評論家」の秘書兼任の新妻でもあった。

以下は、私の記憶に残っている美保子夫人の言葉で、彼女は横井の日常生活を断片的に語ってくれた。

「新婚当初、横井は夜中に1時間か2時間くらいごとに目を覚ましていました。そして、朝は4時くらいには起きていました。グアムでの毎日の“警戒心”を引きずっていたようでした」

「講演やテレビ出演などで外に出るとき以外は、日中、家に来た手紙の整理に没頭しています。毎日、戦争での遺族の方々などが、20通から30通くらい送って来るのです。そのうちの大半は、それなりに返事をしたためていました。横井は宛名も全部、自分で書いていました。字は、なかなかの達筆ですよ」

「夜は、よくテレビを見ていました。スポーツものが好きで、時にフッフッフッと笑いながらプロレスもよく見ています。一方、歌番組を見て『何を歌っているのか、さっぱり分からん』とコボしていることもありますよ。翌朝、早く起きなければならないので、夜は9時、10時には寝てしまいます。グアムでの生活を引きずっていたことの、早寝でしょうか」

「食べ物はこれもジャングル生活の影響のようで、結婚直後は火を通さない生の刺し身は警戒心があってか、手を出しませんでした。今でも、あまり喜びません。野菜も同じで、生野菜は喜びません」