横井庄一、グアムで28年の潜伏生活から参院選へ…取材で見えた“奇跡の帰還兵”の素顔【怪人/快人伝 第7回】

落選後に残された“極小”必勝ダルマ

美保子夫人へのインタビューは、熱田神宮での挙式から半年ばかり経った昭和48年初夏、横井とはそれから1年ほどが経った参院選出馬の半年ほど前で、立ち話だった記憶がある。

当時、横井本人にはすでにチラホラ出馬話が出ていたことから、これに絞って質問した。横井の対応は、まだ人との接触にぎこちなさも残り、口数はトツトツとして少なかった。目立ったのは拳がゴツゴツしており、グアム島での生活が思い起こされた点であった。

横井との記憶に残っているやりとりは、次のようなものであった。

──周りは「横井出馬」でだいぶ騒いでいるが。

「わしは何も決めちゃおらんよ。大体、わしはいまの日本の政治の仕組みも、どの政党がどういう政党かもよく知らん」

──いざ出馬となれば、勉強が大変ですね。

「本当は市会議員、県会議員、それから国会議員だわね。わしは“有名人”ということで、皆が勝手なことを言いよる。わしが立っても、ナンの値打ちもありゃせんのよ」
 結局、横井はこの7月7日投開票の“七夕選挙”に出馬したが、知名度の高いタレントなら、出れば当選という世の風潮は、すでに前回の国政選挙で終わっていた。耐乏生活評論家の登場は、「飽食の時代」には、あまりに似合わなかったようであった。
 選挙から1週間後、再び横井に会おうと自宅を訪ねたが、横井は呼びかけに応じてはくれなかった。

「恥ずかしながら」ということなのか、一応、6畳ほどの自宅の空き部屋を選挙事務所にしていたようだが、殺風景なその棚の角に、ナント、高さわずか20㌢、幅15㌢ほどの“極小”必勝ダルマが、いまだ片づけられずホコリをかぶっていたものだ。

耐乏生活評論家の、なんとも“地味な選挙戦”であったことがしのばれたのである。
(本文中敬称略/この項つづく)

「週刊実話」9月17・24日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。