「落語家になるために生まれてきた男」立川談志の『芝浜』に見た“不世出の天才”の凄み【怪人/快人伝 第6回】

蕎麦一杯にも表れた“談志流”

私事にわたって恐縮だが、じつは私は小学1、2年の頃から“寄席がよい”をしていた。当時、東京・神田須田町に住んでいたのだが、この地は終戦の年の昭和20(1945)年3月9日から10日にかけて、市街地の大半が焼失した東京大空襲でも、奇跡的に被害を受けなかったのである。

当時、いまの須田町の交差点近くに、戦前からの寄席「立花亭」があり、戦災をまぬがれたことで終戦2年目から早くも営業を開始していた。

時に、父親に連れられて“木戸銭”を払う場合もあれば、立花亭から家が近かったことから“もぎり”のおじさんに顔を覚えられ、「今日はすいているから入っていいぞ」などと、タダで入れてもらったことも度々あったのである。

ために、私はその頃から五代目古今亭志ん生(故・古今亭志ん朝の父)、三代目桂三木助、八代目三笑亭可楽、八代目林家正蔵といった名人、上手を見てきており、のちに談志の師匠となる襲名から間もなくの五代目柳家小さんも見ているのである。

その頃の小さんのじれったいほどの間の取り方、抜く語りに、妙に惹かれた思い出がある。同時に、志ん生の飄々とした語り口は子ども心に楽しく、前のめりになって見ていたものだ。「火焔太鼓」「付き馬」「妾馬」など、いまでも当時の記憶が蘇るのである。

さて、長じてたまたま覗いた談志の人情噺「芝浜」は、それまでの“落語観”を捨て去るものであった。もとより落語は楽しむものだが、聴く者をして、なにやら「人生」を突きつけられた思いがしたのである。

「芝浜」とは、いまの東京都港区の新橋から田町あたりにあった魚河岸近くが舞台で、裏長屋に住む腕はいいのだが酒好きで怠け者の勝五郎と、しっかり者の女房を描いた噺である。

魚河岸へ仕入れに行った勝五郎は、波打ち際で重い革の財布を拾い、夢中でわが家に戻った。2分金で計82両、勝五郎はこれだけあれば一生遊んで暮らせると、有頂天になって酒を飲んで寝てしまう。

しかし、起こした女房いわく「おまえさん、そんな財布など拾ってきてはいないよ」で勝五郎はがく然、それを機に酒をやめて生まれ変わったように働き、3年後、若い者も3人ばかり置けるようになっていた。

大みそかの夜。女房が突然、詫びながら「財布を拾ったのは本当だった。番所へ預けたが、3年たって落とし主が出ないので下げ渡された」と告白した。勝五郎の前にズッシリした財布を出したのである。

女房は「機嫌直しに」と一本つけてくれたが、勝五郎は「よそう。また夢になるといけねぇ」が、オチになっている。