座談会も縮小、AI導入も…創価学会に忍び寄る「なり手不足」の実態【創価学会の変貌・下】

なり手不足に悲鳴を上げる組織

縮小はこれだけにとどまらない。本部ビヘビアをなるべく減らすため、毎週や毎月行われていた協議会などの開催決定権を、方面や県単位で決めることになった。変更はまだある。

学会活動の根幹である「折伏」と「訪問・激励」の取り組みにさらに注力できるよう、男子部リーダーが最前線の支部・地区で責任を担う体制を確立――とある。

本部幹部以上のリーダーによる部・地区幹部の兼務を、地域ごとに順次、検討、実施するマニフェストであり、要するにこれは「なり手不足を兼任・兼務で乗り切る」方向性そのものと読める。つまり、学会組織が悲鳴を上げているのだ。

外野から見れば学会組織は、連日のような会合・会議の連続と思いがち。しかし、実態は「座談会を開いても人が集まらず、指導する会員も不足している」のが実情だと、何人もの知己の学会員はこぼす。

肝心の座談会も原則1時間半程度が30分で終わってしまうこともある。出席者が個々の発言をきちんと述べるには、1時間で20人規模が適正といわれる。名称はともかく、学会座談会は「個々の発言は1分もない」ことが問題視される時期もあった。

池田氏の葬儀をめぐる違和感

1990年代に脱会した学会員は、こう語る。

「何人かの脱会者と当時話したのですが、なぜ池田さんの葬儀の時に先代の戸田城聖氏葬儀と同じにならなかったか、皆、疑問だったのです。当然、私たちは学会総本部(東京・信濃町)などに全国の会員がお悔やみに来るものと思っていました。ところが、逝去のわずか2日後には、家族葬で葬儀を済ませ、会員は全国の主要会館での学会葬。こうして信濃町お悔やみを回避しながら、ホテルニューオータニで2600名からの弔問客を迎えて『お別れの会』を大々的に行う。これは信仰していた日蓮正宗から破門され、僧侶抜きの学会葬路線が滲むチグハグ感を醸し出すものでした。婦人部人気やカリスマ性など、人を幻惑するに長けた池田氏に対する原田体制の回答なのでしょうが」

確かに、池田氏は2010年6月に「後は君たちに任せた」と事実上の引退宣言を行っている。ただし、それは池田氏から預かった文書を原田会長が読み上げるという変則的なやり方だった。15年以上を経過したいま、原田体制は一種の「仕上げの時期」に入っているように映る。現に信濃町本部周辺からは、「次は2段目のリストラかも」という声が聞こえてくる。