「時間を守れない人間は信用されない」三島由紀夫が25歳の記者に刻んだ人生訓【怪人/快人伝 第1回】

三島由紀夫(C)週刊実話WEB

永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が実際に会った傑物たちの知られざる素顔を初公開。今回は三島由紀夫(上)をお届けする。

初対面で圧倒された文豪の存在感

「…………」
そのコロニアル様式とされる白亜の三島由紀夫邸は、東京・大田区南馬込の起伏に富んだ地形の農家と田畑が織りなすなかに、ひときわ光って見えた。時に、昭和42(1967)年の6月下旬であった。

汗をぬぐいつつ玄関に迎え入れられると、すでにそこには三島の姿があった。これでもかといったピッチリした半袖ポロシャツ姿、陽に焼けた両腕をムンギュとばかり前に組み、無言で険しい視線を私と同行のカメラマンの2人に送ってきたのである。

次の瞬間、その憮然とした表情が何を物語るか、私はすぐに悟ることができた。

それまで私は三島の『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』など代表作をいくつか乱読、むしろ『不道徳教育講座』『文章読本』などの評論を好んで読んだ“三島ファン”であった。文章はいかにも知的にして饒舌、しかし寸分の隙もない筆致に瞠目したおぼえがあった。

また、そうした文章からは、社会や人間のルーズさを許せないという、見方を変えれば冷徹な姿勢も伝わってきたものである。

三島の前で、私はこう言って頭を下げた。

「遅れました。申し訳ございませんでした」

インタビューでの訪問だったが、約束の時間に5分遅れたのである。

しかし、三島の憮然とした表情は変わらず、踵を返すと私たちを2階に招き入れ、なんとインタビューはそのベランダで強い陽の光のもとで行われた。三島はお手伝いさんらしき女性の運んできた水羊羹を無造作に口に運びつつ、ジッとこちらに視線をやり、質問に言葉少なに答えたのが印象的だった。

当時、私は25歳、月刊の総合雑誌でグラビアの連載インタビュー記事を担当していた。さて、次号は誰を登場させようか、そうして“白羽の矢”を立てたのが三島だったのだ。

すでにノーベル文学賞の候補にもなっていた三島は、この年4月から5月にかけての約1カ月半、福岡県久留米市の陸上自衛隊幹部候補生学校、富士学校富士教導団、習志野駐屯地の第1空挺団に体験入隊、話題を集めていた。こちらとしては、このあたりについても何故の入隊だったのか、深掘りしてみたいという魂胆があったのである。