長嶋茂雄・逝去1年…“ミスター”が球史に刻んだ名勝負・名場面【前編】

読売ジャイアンツ公式サイトより

約1年前の2025年6月3日の早朝、プロ野球界の太陽が静かに沈んだ。長嶋茂雄――その名を聞けば、日本人なら誰もが脳裏に鮮やかな光景を思い浮かべるはずだ。

ダイヤモンドを疾走するユニフォーム。スタンドを揺らした快音。スポットライトを浴びて声を震わせ、マイクに向かうミスターの姿。89年の生涯で刻んだ「名場面」は、半世紀以上を経た今もなお色褪せない。

逝去から1年が経った今、長嶋茂雄がグラウンドで演じた、永遠に語り継がれる5つの瞬間を振り返る。(2回中の1回)

【名場面1】1958年4月5日 デビュー戦・金田正一に4打席連続三振

プロ野球史上に残る最高の「名勝負序章」は、実は長嶋茂雄の完敗で幕を開けた。

1958年4月5日、後楽園球場。開幕戦の「3番サード」に抜擢された国鉄の大エース・金田正一との初対決は、開幕前から球界の話題を独占していた。

東京六大学野球(立教大学)で、通算本塁打8本の新記録(当時)を打ち立てたゴールデンルーキー対、前年31勝14敗・防御率1.30で投手三冠を獲得した球界最強投手——。当日の後楽園球場には4万5000人の大観衆が押し寄せた。

しかし、勝負は金田の完勝だった。第1打席は1ボール2ストライクから内角直球で空振り三振。以後も4、7、9回と4打席連続空振り三振に斬って取られた。

投じられた19球のうち、バットに当たったのは内角球をよけ損ねてファウルになった1球だけだった。9球が空振りのストライクで、見逃しのストライクはわずか2球——つまり長嶋は全打席、渾身のフルスイングで挑み続けたのだ。

翌日も、リリーフ登板した金田に対して再び三振を喫し、デビューからの対戦5打席連続三振という記録を残した。

だが、後楽園球場は不思議な熱気に包まれていた。打てなくても独特のスイングが「絵になる」男だった。金田正一は試合後、捕手の谷田比呂美と飯を食いながら、「ワシの絶好調の球を1球だけファウルした。スイングスピードが速い。いつかはやられる日が来るのでは」と語ったという。翌日のスポーツ紙は「三振の長嶋」ではなく「スター誕生」と書いた。

この敗北がむしろ、長嶋茂雄という存在を日本中に刻み込んだ。金田に対する長嶋の生涯打率は3割1分3厘、通算18本塁打。最も多くホームランを打たれた打者として、金田は長嶋を「怖い存在になると確信した」と述懐している。

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