“叩き上げ首相”の限界…延命策が裏目に出た菅義偉政権の末路【歴代総理とっておきの話】

叩き上げの原点と届かなかった政治力


令和8年1月、衆院議員10期目を最後に政界を引退した菅は、典型的な「叩き上げ」である。

秋田県のイチゴ農家に生まれ、高校卒業後に上京。段ボール製造工場などに勤務して学費を貯め、2年後に法政大学に入った“苦労人”でもある。

地縁、血縁に頼らず衆院議員秘書になり、そこから横浜市議選で初当選。その後、平成8(1996)年10月の総選挙に神奈川2区から出馬、初当選を飾った。第1次安倍内閣で総務相として初入閣、第2次安倍内閣では先のように官房長官を務めた。令和元年4月には新元号を記者会見で発表し、この際は「令和おじさん」として知名度を上げている。

菅は体調を考慮したわずか13分間の引退会見で、おおむね次のように語った。

「首相として一番印象に残っているのは、新型コロナウイルスへの対応だった。ワクチンの『1日100万回接種』が収束への切り札と考え、これに政治生命をかけたつもりだ」

「ゼロからの出発でも首相になれる。息子は3人いるが、世襲はまったく考えていなかった。政治をやりたいという志のある者に、チャンスを与えるべきだ」

なるほどと言うべきか、官房長官、首相時代、退陣表明後も、菅は一貫して無派閥を通している。あまた見られる退陣後の“権力温存”には、興味が薄かったようである。

かく、苦労人として這い上がり、首相のイスに座った人物に、田中角栄元首相がいた。尋常高等小学校卒で、15歳で新潟から上京、そこからやがては天下を奪い取った。その生い立ちは菅と“相似形”に映る。

惜しむらく、菅は田中の政治的腕力に、遠く及ばなかったようである。

(本文中敬称略/次回は岸田文雄)

「週刊実話」4月30日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。