“叩き上げ首相”の限界…延命策が裏目に出た菅義偉政権の末路【歴代総理とっておきの話】

“裸の王様”と評された情報の偏り

リーダーシップへの信頼を失った菅政権は、まさに「四面楚歌」の状態で、政権の延命策はここに至っていよいよ万事休すとなった。

令和3年9月3日、菅は17日告知、29日投開票の自民党総裁選を前に、ついに不出馬を表明。第2次安倍内閣で官房長官を務め、じつに7年8カ月の長きにわたり首相を支え続けたものの、安倍政権の末期から2人の間には“すきま風”が吹いていた。これも尾を引き、「多数派工作に自信が持てず、出馬を断念せざるを得なかった」(政治部記者)という見方が、どうやら真相のようであった。

菅が総裁選への不出馬を表明した翌日、政治学者の御厨貴は朝日新聞の朝刊で、政権の約1年を次のように記している。

「私から見ると、首相になりきれなかったままの1年であった。(政権運営について)官房長官時代の内閣人事局の発足により、官僚たちは説明しない政治を受け入れ、官僚主導政治は徐々に空洞化していった。菅首相は『情報』で生きてきた政治家ながら、長く官房長官として権力の中枢にいたことで、都合の良い情報ばかりが集まるようになり、“裸の王様”になったのではないか」

ちなみに、日本国内での五輪開催は夏季、冬季を合わせて4回だが、首相が退陣するというジンクスがある。昭和39(1964)年、東京開催の池田勇人、昭和47(1972)年、札幌開催の佐藤栄作、平成10(1998)年、長野開催の橋本龍太郎である。菅もまた、そのジンクスを打ち破れなかったことになる。