「秀長を失い豊臣家は崩壊した」 歴史家・加来耕三が語る令和に通じる"最強補佐役"の流儀

令和の苛酷な時代に響く「最強の補佐役」の生き方

また、秀長は千利休と深い親交があり、茶の湯にも通じていました。非常に教養が高く、諸大名が同座する連歌や和歌の会においても、重要な役割を果たしています。

殺伐とした戦国時代に、秀長は自分だけの世界、ほっとする世界を創造することができました。これは現代人にも通じる、大切なことだと思いますね。

昭和の時代、豊臣秀吉の派手な功績と立身出世の物語は、人々に高く評価されました。また、革命児の織田信長、抜群の忍耐力で泰平の世を築いた徳川家康も、その時々によって脚光を浴びてきましたが、この令和の苛酷な時代を生きるうえで、果たしてどんな人物の行動様式が参考になるのか。私は「最強の補佐役」としての、豊臣秀長ではないかと考えています。

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